QWERTYのような偶発的な経路依存性とは対照的に、人類が意識的に世界規模の規格を作ろうとした最も野心的なプロジェクトがあります。メートル法(Système métrique) の制定です。1791年から1799年にかけてフランスで進められたこの事業は、現代の私たちが「長さ・重さ・時間」を測るときの基盤を作りました。
18世紀末まで、ヨーロッパの度量衡は地獄のような複雑さでした。フランスだけで約25万種類の長さ単位、地域・職業・取引対象ごとに違う「ピエ(足)」「アルパン」「リーヴル」「プード」が併存し、農民が領主に納める穀物の量を巡って毎年のように紛争が起きていました。「同じ世界に住んでいる人間たちが、同じ物差しを共有していない」ことの社会的コストは膨大でした。
1791年、フランス革命の混乱の只中で、フランス国民議会は科学アカデミーに「普遍的な度量衡体系」の創設を命じます。アカデミーの提案は革命的でした。新しい長さの単位「メートル」を、地球の北極から赤道までの子午線弧の1/10,000,000として定義する、と。地球そのものを物差しの基準にする、宇宙的な発想でした。
実装するには、地球を実測する必要があります。アカデミーは、二人の天文学者ピエール・メシャン(1744-1804)とジャン=バティスト・ドランブル(1749-1822)に、ダンケルク(フランス北端)からバルセロナ(スペイン東部)までの子午線を三角測量で測量する任務を与えました。1792年から1799年までの7年間、二人はフランス革命の戦乱・スペインの敵対・天候・反対住民・装置故障に苦しみながら、何百の三角形を測量し、地球の弧長を計算しました。
歴史家ケン・アルダーの名著『The Measure of All Things』(2002年)は、この壮大な事業の詳細を再構築しています。圧巻なのは、メシャンが測量の最終段階で自分の測定誤差を発見し、その事実を生涯隠し続けたという発見です。彼が死後に残した秘密のノートを、20世紀の研究者が解読することで、近代科学の「客観性」の闇の側面が初めて公開されました。
メートル法の確立後、長さ・重さ・時間以外にも、無数の派生単位が定義されていきます。1875年、メートル条約が17カ国で署名され、国際度量衡局(BIPM、Bureau International des Poids et Mesures、パリ郊外セーブル) が設立されます。1960年、国際単位系(SI、Système International d'Unités) が制定。長さ(メートル)、質量(キログラム)、時間(秒)、電流(アンペア)、温度(ケルビン)、物質量(モル)、光度(カンデラ)の7つの基本単位が国際標準になりました。
そして2019年5月20日、キログラムの再定義という、もう一つの歴史的事件が起きました。それまで国際キログラム原器(IPK、白金イリジウム合金製、1889年作成)という物理的な「重り」がキログラムを定義していました。けれども、原器自体が長期にわたって微妙に重さを変えていることが判明し、世界共通の基準としては不安定でした。2019年、SIの全7単位が物理定数(プランク定数、光速、ボルツマン定数など)で再定義され、人類は初めて「物理的な原器に依存しない計量体系」を手にしました。
計量は、世界共通の言語であり、見えない最大のインフラです。
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計量の標準化を、現代経営の文脈で読み直すと、3つの実用的視点が立ち上がります。
第一に、自社の「物差し」の選択と保守。経営における計量は、財務指標(売上、利益、ROE、ROA)、KPI(NPS、LTV、CAC、Churn率)、ESG指標(CO2排出量、女性管理職比率、社員エンゲージメント)など、実に多様です。これらの計量は「客観的」に見えて、実は何を測るかの選択そのものが経営判断です。Salesforce、Patagonia、Unilever、ユニクロ、サイボウズ――これらの企業は、自社の経営にとって決定的な「物差し」を意識的に再定義し、その物差しの精度を継続的に改善することで、競争優位を保っています。
第二に、「業界標準の指標」への参画。GHG Protocol(温室効果ガス排出量算定基準)、SASB(サステナビリティ会計基準)、ISO 26000(社会的責任)、B Corp認証、TCFD(気候関連財務開示)、CDP――どれも国際的な計量の標準化プロジェクトです。これらに早期参画することで、業界の物差しが定義される過程に影響を与えられます。マイクロソフト、Apple、Patagonia、トヨタ、SoftBankなどが、各種国際標準化に積極的に参画しています。
第三に、「測れないものを測る」イノベーション。ナイチンゲールの統計、ピーター・ドラッカーの「測定できないものは管理できない」、Andy Groveの "Measure What Matters"(OKR論)。けれども21世紀の経営課題(社会的インパクト、心理的安全性、創造性、Wellbeing)は、伝統的な指標では測りきれません。新しい計量を発明することは、新しい経営領域を切り開くことです。
何を測るかが、何を作るかを決めます。
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2. 異分野からの発展的視点 ― キッブルが発明した「電気でキログラムを測る秤」
メートル法は1799年に物理的な原器として始まり、220年にわたって人類はその「物体」を世界共通の物差しとして使ってきました。けれども2019年5月20日、物理的な原器がキログラムの定義から外されます。決定の背後には、ひとりの英国物理学者の長い研究がありました。1975年、英国国立物理学研究所(NPL)のブライアン・キッブル(Bryan Kibble)は、質量を電気の力で測定する「ワット天秤(後にキッブル天秤と改名)」を提案しました(*Metrologia* 12巻, 1976)。
この秤は、重力で引かれる質量を、磁場と電流が生む力でつり合わせ、電圧と電流から質量を逆算する仕組みです。決定的だったのは、電圧と電流がジョセフソン効果と量子ホール効果(いずれもノーベル物理学賞)の量子定数を介して、プランク定数と直接結びつくことでした。米NISTのSchlammingerらが2014年に1.3×10⁻⁸の相対不確かさで定数を測定し、世界各国の独立測定値の一致を受けて、国際度量衡総会は2018年、プランク定数 h = 6.62607015×10⁻³⁴ J·s を厳密値として固定し、キログラムをこの定数から逆算で定義する歴史的決定を下しました。
メシャンとドランブルが7年かけてダンケルクからバルセロナまで子午線を三角測量した精神は、220年を経て、量子物理学者の手で自然の最深部に書き直されたのです。社会が「測る」ために用意してきた人工物は、ついに物理定数に溶け込みました。
次回は「万国博覧会と標準化」をお届けします。
