第II部「媒介のかたち」の最終章を閉じます。第6章では、看護学(ナイチンゲール)、社会福祉学(リッチモンド)、専門家批判(イリイチ・フレイレ)、実践共同体(ウェンガー・レイヴ)、デザイン思考(バウハウス・IDEO・d.school)と、5つの学問領域の生成過程を辿りました。連載でいちばん長い時間軸(1860年から2010年まで150年)と、いちばん多様な領域を扱った章でした。
5話を並べると、「学問領域創出」というかたちには共通の構造が見えます。現場の困難から始まること(クリミア戦争病院、ロンドンの貧困街、20世紀の専門家依存社会、リベリアの仕立屋共同体、デザイン現場)。データや観察から方法論を抽出すること(コクスコム、社会診断、脱学校化、状況的学習、共感→定義→発想→プロトタイピング→検証)。教育機関と専門職団体を同時に立ち上げること(ナイチンゲール看護学校、ニューヨーク慈善学校、CIDOC、d.school)。そして、創出された学問が次の批判を呼び込むこと(看護学→医療化批判、社会福祉学→脱学校化、専門家批判→実践共同体、CoP→批判教育学)。
現代のグローバル事例にも、この系譜を継ぐ動きがあります。3つ紹介します。
「方法」の側から見ると、第一にあがるのがStanford d.school(正式名称はHasso Plattner Institute of Design at Stanford、2005年開設、デヴィッド・ケリー創設)です。スタンフォード大学の既存7学部のいずれにも属さない「学際的なデザイン教育機関」として設立されました。IDEOで実践されていたデザイン思考を、共感・問題定義・発想・プロトタイピング・テストという5段階の方法論として明文化し、工学・経営学・医療・教育の各領域へ越境させていきました。バウハウスが工芸とデザインを統合したように、d.schoolは「デザイン思考」を一つの学問領域として確立し、世界の大学へとその方法論を伝播させています。
「対象」の側から見ると、新たな学問領域として立ち上がっているのがSingularity University(2008年設立、ピーター・ディアマンディスとレイ・カーツワイル創設)です。NASAエイムズ研究センターを拠点に、AI・ロボティクス・バイオテクノロジー・ナノテクノロジー等の指数的技術を統合的に学ぶ教育機関として立ち上がりました。既存の大学の学科構造では捉えきれない「指数的技術と社会課題の交差点」を新たな学問領域として設計し、Global Solutions Programやエグゼクティブ教育を通じて、世界各国の起業家・政策立案者・経営者を媒介者として再生産しています。リッチモンドが個別ケースワークを学問にしたように、指数的技術の倫理・経営・社会実装を体系的な知識領域へと組み立てる仕事です。
「制度」の側から見ると、大学そのものを再設計しているのがMinerva University(2012年設立、ベン・ネルソン創設)です。物理キャンパスを持たず、サンフランシスコ・ソウル・ハイデラバード・ベルリン・ブエノスアイレス・ロンドン・台北の7都市を学生が4年間で巡回しながら学ぶ、グローバル分散型大学です。独自のActive Learning Forum(ALF)プラットフォームと、批判的思考・創造的思考・効果的コミュニケーション・効果的相互作用の4つの「思考習慣」を中核に据えたカリキュラムを開発しました。ナイチンゲール看護学校が看護師という新しい専門職を生み出したように、Minervaは「グローバル市民として複雑な世界課題に取り組む人材」という新しい媒介者像を、教育の構造そのものから再設計して生み出しつつあります。
これらすべてに共通する底流が、本連載の3つの底流のうちの「見えない領域への投資」です。現場の困難・無償の善意・暗黙のスキル・周辺的な実践――短期の収益にならない領域に、長い時間と知性を投資する人がいる。彼らの仕事が、後世から見ると新しい学問領域として記録される。
第II部全体(第4章「媒介者」、第5章「中間支援」、第6章「学問領域創出」)の総括をしておきます。媒介者は人と人をつなぎ、中間支援は組織と組織をつなぎ、学問領域創出は世代と世代をつなぐ。この3つの媒介の入れ子構造が、社会の変化を持続的に支える「媒介のかたち」の全体像です。
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第II部から取り出せる、組織における「媒介」の3階建てモデルを整理します。
第一階:人を媒介する(第4章 媒介者)。社内外の異なるチーム・職位・専門の人を結びつける個人。グラノヴェッターの「弱い紐帯」、バートの「ストラクチャル・ホール」、ガッドウェルの「コネクター」「メイブン」「セールスマン」が、この階層の理論的基盤です。組織はこの階層を、JD(職務記述書)や評価指標に組み込めずにきました。プロジェクト・マネジャー、コミュニティ・マネジャー、ファシリテーター、エグゼクティブ・コーチが、現代の媒介者職能の代表です。
第二階:組織を媒介する(第5章 中間支援)。NPO中間支援、業界団体、商工会議所、大学のTLO、コンソーシアム、プラットフォーム企業。個別組織では到達できない集合的な学習・標準化・連携を可能にする組織群。経営戦略では、自社が属するエコシステムにおける「中間支援組織」の地図を作る作業が要ります。誰が中間支援を担っているか、自社がどう貢献できるか――これは長期競争力の源泉です。
第三階:知を媒介する(第6章 学問領域創出)。最も長い時間軸の媒介。新しい学問領域・専門職・教育プログラムを立ち上げる仕事。看護・社会福祉・デザイン思考・データサイエンス・サステナビリティ。組織が新領域の創出に短期では報われない投資を続けることは、長期的には他社が真似できない知的資本を作ります。Procter&Gambleがデザイン思考を、IBMがサービスサイエンスを社内に育てた事例は、この第三階の経営判断の代表です。
媒介は、すべての階層で、短期効率の対極にある投資です。
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2. 異分野からの発展的視点 ― プライスが発見した「知の指数曲線」
新しい学問領域はある日突然誕生するわけではありません。長い時間をかけてゆっくりと育ち、ある臨界点を超えたときに、外から「学問が生まれた」と認識されます。この過程を初めて数学的に捉えた人物が、20世紀英国の物理学者で科学史家のデレク・デ・ソラ・プライス(Derek de Solla Price)でした。1963年に上梓された『Little Science, Big Science』(コロンビア大学出版局)が決定打です。
プライスは世界中の学術誌の論文数・科学者数・科学費の年次推移を集計し、これらすべてが約15年で2倍になる指数曲線で増え続けてきた事実を示しました。彼はこの現象を「プライスの法則」と呼び、科学が自己増殖するシステムであることを明らかにしたのです。後にBarabásiらの研究は、この知識増殖の背後にあるネットワーク構造を解明し、論文引用ネットワークがスケールフリー構造を持つことを示しました。新しい学問領域の誕生は、引用ネットワーク上でモジュラリティが急上昇する瞬間として観測可能な現象になっています。
ナイチンゲールの『Notes on Nursing』(1859)、リッチモンドの『Social Diagnosis』(1917)、ウェンガーの『Communities of Practice』(1998)、ケリーらのd.school設立(2005) ―― これらはすべて、引用ネットワーク上で新しいコミュニティが「結晶」として析出した瞬間でした。学問領域の創出は、もはや偉人の物語ではなく、データから観察可能な相転移現象なのです。
次回は「物語経済学 ― ロバート・シラーの挑戦」をお届けします。
