20世紀の社会が「学問領域創出」のリストに加えた最も新しい項目のひとつが、「デザイン思考(Design Thinking)」です。看護学(19世紀後半)、社会福祉学(20世紀初頭)、実践共同体(1990年代)と続く系譜の現代の最終形として、デザインが学問・経営・教育・公共政策の語彙に深く根を下ろしています。
源流は、1919年にドイツのワイマールで開校したバウハウス(Bauhaus)まで遡ります。建築家ヴァルター・グロピウスが創設したこの学校は、当時の常識では別物だった「美術」「工芸」「建築」「工業デザイン」を統合し、「人々の暮らしのためのモノ」を作る統合的な学問として再定義しました。バウハウスは1933年にナチスによって閉鎖されますが、教員たちが米国に亡命し、シカゴのインスティテュート・オブ・デザイン、ハーバード、ブラックマウンテン・カレッジなどでバウハウスの思想を継承します。
戦後、デザインは産業界に広く浸透していきます。決定的な転換点は、1991年に米国シリコンバレーで起きました。デヴィッド・ケリーらがスタンフォード大学の研究室から独立し、IDEOを設立したのです。IDEOは、それまで「製品の見た目を整える仕事」と考えられていたデザインを、「社会課題を人間中心に解決する方法論」へと再定義しました。Apple Mouse(1980年代)、Pixar Computer System、3M Post-itの初期試作――どれもケリーらが関わった代表作です。
2005年、ケリーがスタンフォード大学にHasso Plattner Institute of Design(通称d.school)を設立します。SAP共同創業者ハッソ・プラットナーの寄付(350万ドル)が起点でした。d.schoolはMBA・工学・医学・教育学・社会学の学生が一緒に学ぶ「学問の十字路」として設計され、ここから多くの社会起業家・スタートアップ・公共政策イノベーションが生まれました。
理論化を担ったのが、IDEOのCEOティム・ブラウンです。彼の2009年の著書『チェンジ・バイ・デザイン(Change by Design)』は、デザイン思考を5段階のプロセス――共感(Empathize)→定義(Define)→発想(Ideate)→プロトタイピング(Prototype)→検証(Test)――として体系化しました。同年、トロント大学経営大学院長ロジャー・マーティンは『デザインのビジネス(The Design of Business)』で、デザイン思考を「統合的思考(integrative thinking)」として経営学の中核に据えます。
実は、もっと深い理論的源流がありました。1969年、ノーベル経済学賞受賞者ハーバート・サイモンは『人工科学のシステム(The Sciences of the Artificial)』で、「デザインは、現状をより望ましい状態に変える行為であり、すべての専門職の中核に存在する」と書きました。サイモンの問いを、現代の課題群に向けて再起動したのがデザイン思考の運動です。
デザイン思考は、「学問の十字路」そのものを学問として制度化する試みです。
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デザイン思考の経営的活用には、3つの段階があります。
第一段階は、「デザイン思考を学ぶ」。多くの企業が2010年代以降、IDEOのワークショップやd.schoolのエグゼクティブ・プログラムに社員を送り出しました。Procter&Gamble(A.G.ラフリーCEO時代)、SAP、Bank of America、Pfizer、Marriott、楽天、富士通、リクルートなど。学んだ内容は確かに刺激的ですが、研修だけでは組織が変わらない、という課題が浮上しました。
第二段階は、「デザイン思考を組織に組み込む」。Capital Oneは2014年にデザイン会社Adaptive Pathを買収、IBMは「IBM Design Thinking」を全社プログラム化(社員約2万人がデザイン思考認定保持)、SAPは「Design+Co-innovation」を製品開発の標準にしました。日本では富士通が「FUJITSU Knowledge Integration Base」を設置、ソニーが「Creative Lounge」を運営しています。デザインは「特定の部署の専門技能」から「全社員が持つべき思考」へと位置づけ直されました。
第三段階は、「デザイン思考を超える」。最近10年では、デザイン思考自体への批判も増えています。Lee Vinsel "Design Thinking is a Boondoggle"(2018)、Maggie Gram "On Design Thinking"(n+1 Magazine 2019)など。批判の核は、(1)誰の問題を解くかの政治性が見えにくい、(2)プロトタイピング偏重で本格的な調査と実装が軽視される、(3)コンサルティング会社の商業化で形骸化、というものです。これらの批判を踏まえて、Speculative Design、Critical Design、Systemic Design、Service Designなど、デザイン思考の次世代が育っています。
デザインは「思考」ではなく、「実践」になる必要があります。
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2. 異分野からの発展的視点 ― ビーティが捉えた「創造的な脳の二重構造」
デザイン思考の核心 ―― 発散(広く考える)と収束(決定する)の往復 ―― が、なぜ創造的なアイデアを生むのか。2018年、米ノースカロライナ州立大学のロジャー・ビーティ(Roger Beaty)らは、この問いに直接的な脳画像データを返しました(*PNAS* 115巻, 1087-1092頁)。
研究チームは163人の被験者にfMRIを撮影しながら、「レンガの新しい使い方を考える」といった創造性課題を課しました。明らかになったのは、通常はトレードオフ関係にある2つの脳ネットワークが、創造的思考のあいだに同時に活性化していたことです。ひとつは「デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)」 ―― ぼんやりしているときに動く自由連想の回路。もうひとつは「実行制御ネットワーク(ECN)」 ―― 集中して判断するときの回路。普通はどちらかが優位になるとき、もう一方は休む。しかし創造性が高い人は両者を同時に走らせ、しかも柔軟に切り替えていました。
バウハウスのワークショップ、IDEOの白板に並ぶ100個のアイデア、d.schoolの「Yes, And」ルール、デザイン・スプリントの構造 ―― これらの方法論は、無意識のうちに脳のDMNとECNの最適切替を引き出す装置として組まれていました。デザイン思考が効くのは、それが脳の二重構造を社会的に外部化した手続きだからです。
次回は「学問領域創出のかたち ― 第6章のまとめ」をお届けします。
