博物館に行くと、世界中から集められた物が、テーマごと・年代ごと・地域ごとに整然と並んでいます。これを当たり前のことのように受け入れていますが、よく考えると不思議な光景です。アフリカの仮面、エジプトのミイラ、中国の磁器、日本の刀、恐竜の骨、地球の鉱物――これらすべてを一つの場所に集めて、ガラス越しに眺める。こうした経験は、近代以前の人類の歴史にはありませんでした。
博物館の起源は、ルネサンス期の貴族の「驚異の部屋(Wunderkammer / cabinet of curiosities)」とされます。16-17世紀のヨーロッパで、富裕層が世界中から集めた珍しい物(化石、剥製、宝石、異国の道具)を一室に並べる慣行です。当時、これらは「世界の縮図」「神の創造の証」として、所有者の知識と地位を表現するものでした。
近代的な「公共博物館」が誕生したのは、18世紀後半。1683年に英国オックスフォードのアシュモリアン博物館が世界初の公共博物館として開館し、1759年に大英博物館が、1793年にフランスのルーブル美術館が公共施設として開かれました。「貴族のコレクションを大衆に開く」――この近代的な発想の登場は、世界の知識を「公共財」として位置づけ直す試みでした。
博物館学者トニー・ベネットは1995年の著書(『The Birth of the Museum』)で、博物館がフーコーの規律権力(第83話と関連)と結びつき、「秩序立った世界の見方」を一般市民に教育する装置として機能してきたことを論じました。展示の順序、説明の仕方、観客の動線――これらすべてが「世界はこういうものだ」という見方を、無言のうちに観客に伝えています。
一方で、博物館の批判的研究も進んできました。米コロンビア大学のジェームス・クリフォード『Routes』(1997年)は、博物館の収蔵品の多くが植民地時代の収奪に由来することを指摘し、博物館の脱植民地化(decolonization)を提起しました。アフリカ・アジアからの返還要求(パルテノン神殿の彫刻、ベナン・ブロンズ等)は、いまも国際的議論の対象です。博物館は中立的な「世界の見せ方」ではなく、特定の歴史と権力を反映した装置だったのです。
日々の暮らしのなかで、博物館を訪れることは、単に過去を見る経験ではなく、「世界をどう見るか」の練習でもあります。展示を「正解」として受け取るのではなく、「誰が、何を、なぜ、こう並べたのか」を問いながら見る。博物館との関わり方を変えるだけで、私たちの世界の見方も少し豊かになっていきます。
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博物館学(museology)の現代的展開は、フランスの哲学者ミシェル・フーコー(第83話と共通)の規律権力論の影響を受けて1980年代以降本格化しました。米シカゴ大学のトニー・ベネット(1995年)が代表作で、博物館を「公共教育装置」として批判的に分析。米コロンビア大学のジェームス・クリフォード(1997年)は文化の収奪と返還の問題を提起。米スミソニアン博物館研究のジョン・コットニーらは博物館実践の歴史を体系化。脱植民地化の議論では、ナイジェリアのベナン・ブロンズ返還運動、ギリシャのパルテノン神殿彫刻返還要求、米先住民遺骨の返還法(NAGPRA, 1990年)などが転換点。日本では博物館学の倉田公裕(明治大学名誉教授)、矢島國雄(明治大学名誉教授)、現代美術館論の北澤憲昭(女子美術大学)らが、日本の博物館研究を牽引してきました。文化財学の青木保(東京大学名誉教授)も、博物館の文化政治を継続的に論じています。博物館は、教育・娯楽の場から、権力と知の交差点として再評価されつつあります。
世界の博物館は約11.4万館(UNESCO 2021)。1990年代の2倍以上に増加。
日本の博物館・美術館・科学館は約5,700館(文部科学省「社会教育調査2024」)。
大英博物館はパルテノン神殿の彫刻群(エルギンマーブル)の返還圧力に直面、ギリシャ政府が継続的に要求(British Museum 2024時点未返還)。
KEY REFERENCE この回の典拠 ▾
- Bennett, T. (1995). The Birth of the Museum. Routledge.博物館学の現代的批判。
- Clifford, J. (1997). Routes: Travel and Translation in the Late Twentieth Century. Harvard University Press.博物館の脱植民地化。
- Hooper-Greenhill, E. (2000). Museums and the Interpretation of Visual Culture. Routledge.博物館の解釈論。
- 倉田公裕(1979)『博物館学』東京堂出版日本の博物館学の基礎。
- 青木保(2003)『多文化世界』岩波新書博物館と文化政策。
博物館が世界の見方を変えたなら、近代に発明された「美術館」もまた、芸術の見方そのものを再構成してきたはずです。次回は、美術館がいかに近代の視覚装置として機能してきたかを辿ります。
