PART IV ケアと遊 ・ スポーツ観戦 #01
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スポーツ観戦のとき、脳は何をしているのか

― 共感の神経科学が解像する、観るという行為

What the Brain Does While Watching Sports

応援チームの選手が決定的なシュートを決めた瞬間、自分の身体まで反応する。「観るだけ」のはずが、なぜ私たちはこれほど興奮するのでしょうか。共感の神経科学が示す、スポーツ観戦の不思議な現象です。

西村 勇也(NPO法人ミラツク 代表理事) 2026年5月8日 推定読了 約8分 学術領域: 自然科学 / 共感の神経科学・スポーツ心理学

サッカーの試合の決定的な瞬間、応援するチームの選手がボールを蹴り、ゴールに吸い込まれていく。家のリビングで観ているだけのはずなのに、自分の身体まで興奮し、立ち上がり、声を上げてしまう。「観るだけ」のはずが、なぜ私たちはこれほど身体的に反応するのでしょうか。スポーツ観戦の不思議な経験を、ここ20年の共感の神経科学が解像してきています。

第43話で取り上げたミラーニューロン研究と、観戦の脳活動は深く関わっています。米南カリフォルニア大学のリラ・アジニアらの2003年の研究では、被験者にスポーツの動作を見せると、自分が同じ動作をするときと同じ脳の運動野が活性化することが示されました。観るという受動的な行為のなかで、脳は能動的に「自分でやっている」シミュレーションをしているのです。経験者ほどこの活性化が強いため、サッカー経験者は素人より、サッカー観戦中の脳活動が活発になります。

感情面では、応援チームの勝敗が個人の身体反応に直結することも示されています。米イリノイ大学のクリストファー・キノニーらの研究では、ファンの心拍・血圧・コルチゾール(ストレスホルモン)が、応援チームの勝敗に応じて生理的に変化することが確認されました。同じ試合を観ても、応援対象の有無で身体反応がまったく違うのです。観戦は「中立的な視聴」ではなく、深く「参加」する経験だったのです。

もう一つ重要なのは、観戦が社会的同期を生むことです。スタジアムやパブで多くの人が同じ瞬間に同じ感情を経験するとき、「集合的沸騰(collective effervescence)」と呼ばれる現象が起きます。フランスの社会学者エミール・デュルケムが100年以上前に提示したこの概念は、近年の生理学的研究で実証されつつあります。スタジアムでは観客の心拍・呼吸・声のリズムまでが同期し、強烈な共同性の経験が生まれるのです。

日本のスポーツ文化のなかでも、応援は独自の発達を遂げてきました。高校野球の応援団、サッカーJリーグのサポーター文化、相撲の懸賞、駅伝のたすき――観戦は単なる娯楽ではなく、地域・学校・国家への帰属を確認する儀礼でもあります。文化人類学者の青木保(東京大学名誉教授)や山口昌男(札幌大学名誉教授)は、日本のスポーツ文化を儀礼の観点から研究してきました。

日々の暮らしのなかで、スポーツ観戦は「無駄な時間」ではなく、共感能力を磨き、社会的つながりを編み、自分の身体感覚を活性化させる時間です。家族や友人と一緒に観る、誰かと感想を共有する、応援するチームを持つ――こうした関わり方は、観戦の効用を最大化します。観るという行為そのものが、神経科学的にも社会学的にも、確かな経験なのです。

DEEPER 学術的な観点で深めると

スポーツ観戦の神経科学は、ミラーニューロン研究(第43話と関連)の応用として進展してきました。米南カリフォルニア大学のマルコ・イアコボーニ(2008年)はミラーシステムと観戦の関係を体系化。米シカゴ大学のシヴァシュ・ベイリンソンらは熟達者と非熟達者の観戦中の脳活動の違いを実証研究してきました。ファン心理学では、米コロラド大学ボルダー校のダニエル・ワンが「Bask in Reflected Glory(栄光の共有)」研究で、応援チームの勝利が個人のアイデンティティを高揚させる現象を1970年代から追跡。社会学では、フランスのエミール・デュルケム『宗教生活の原初形態』(1912年)の「集合的沸騰」概念が現代スポーツ研究の基盤。米コーネル大学のロブ・カーセンらは大規模スポーツイベントの集団生理同期を研究しています。日本ではスポーツ社会学の井上俊(京都大学名誉教授)、文化人類学者・山口昌男らが日本のスポーツ文化を儀礼として分析してきました。観戦は、エンターテインメントから、神経科学・社会学・人類学の研究対象へと位置づけ直されつつあります。

SIGNAL 01

スポーツ動作を観るとき、運動を実際にするときと同じ脳領域(運動前野・補足運動野)が活性化(Aglioti, S. M. et al. 2008, Nat Neurosci, 11(9): 1109-1116)。

SIGNAL 02

応援チームの勝利時、ファンのテストステロンが約20%上昇、敗北時は同等に低下(Bernhardt, P. C. et al. 1998, Physiol Behav, 65(1): 59-62)。

SIGNAL 03

サッカーワールドカップ期間中、開催国の心筋梗塞発生率が約1.3-1.7倍増加(Wilbert-Lampen, U. et al. 2008, NEJM, 358(5): 475-483)。観戦の身体的影響。

KEY REFERENCE この回の典拠
  • Aglioti, S. M. et al. (2008). "Action anticipation and motor resonance in elite basketball players." Nat Neurosci, 11(9): 1109-1116.熟達者の観戦脳科学。
  • Wann, D. L. & James, J. D. (2018). Sport Fans (2nd ed.). Routledge.スポーツファン心理学。
  • Iacoboni, M. (2008). Mirroring People. Farrar, Straus and Giroux.ミラーシステムの総合書。
  • Durkheim, É. (1912). Les formes élémentaires de la vie religieuse. Alcan.集合的沸騰の社会学的古典。
  • 山口昌男(1975)『文化と両義性』岩波書店日本のスポーツ文化人類学。
QUESTION FOR NEXT — 次号への問い

観戦が共感を活性化させるなら、人類が何千年も繰り返してきた「祭り」もまた、社会的同期の最大の場面として機能してきたはずです。次回は、お祭りが社会の整体としてどう働くかを、儀礼の人類学から辿ります。

NEXT EPISODE 第65話「『お祭り』は、社会の整体だった」 公開を待つ →
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