PART III 関係 ・ ペット #01
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ペットと暮らす人の脳は、ゆっくり変わっていた

― 動物介在療法の研究が示す、共生の効用

Living With a Pet Slowly Changes Your Brain

犬や猫と一緒に暮らしている人が、なんとなく落ち着いて見える、感情の幅が広く見える――こうした感覚を、ここ20年の人動物関係学(HAI)は実証研究にしてきました。ペットは癒しの存在というだけでなく、私たちの脳と身体をゆっくり編んでいる共生のパートナーだったのです。

西村 勇也(NPO法人ミラツク 代表理事) 2026年5月8日 推定読了 約8分 学術領域: 自然科学 / 動物介在療法・人動物関係学

犬や猫と一緒に暮らしている人が、なんとなく落ち着いて見える、感情の幅が広く見える、ストレスから回復しやすく見える――こうした感覚を、私たちは経験的に知っているのに、それを「動物が好きな人の偏見」として片付けてしまいがちです。けれど、ここ20年の人動物関係学(Human-Animal Interaction, HAI)は、ペットと暮らすことの効用を実証研究にしてきました。

ストレス研究では、犬と過ごすときに人のコルチゾール(ストレスホルモン)が下がり、オキシトシン(絆・愛着のホルモン)が上がることが繰り返し示されています。スウェーデンのリンナ大学のリンダ・ハンドリンらの研究では、飼い主と犬が見つめ合うだけで、双方のオキシトシンが上昇することを示しました。これは親子のあいだに起きる絆形成のプロセスと、神経生物学的にほぼ同じです。犬は「家族」というより「もう一人の家族」だった――この素朴な感覚に、確かな科学的裏づけがあります。

犬を飼うことの健康効果も、疫学的に確認されています。スウェーデンの300万人以上を対象とした全国規模研究(Mubanga, M. et al. 2017, Scientific Reports)では、犬の飼い主は心血管疾患による死亡リスクが約20-25%低いことが示されました。一日数回の散歩による身体活動、犬から得る心理的安定、生活リズムの規則性――これらが組み合わさって、健康指標を支えています。

猫と暮らすことの効用も、別の文脈で研究されています。米ミネソタ大学のアドナン・カディルらは、猫の飼い主が非飼い主と比べて心血管疾患リスクが低いことを示しました。猫は犬ほど身体活動を要請しませんが、ゴロゴロ音(25-50Hz)が骨と軟組織の修復を促すことが知られており、別の経路で人の健康に作用していることが示唆されています。

心理的・社会的効用としては、ペットを介した人とのつながりがあります。米ハーバード大学のリサ・ウッドらの研究は、ペットを飼っている人は、飼っていない人より近隣との社会的つながりを持つ確率が高いことを示しました。犬の散歩で出会うコミュニティ、猫を介した話題――ペットは人と人をつなぐ媒介者でもあります。第26話で取り上げた孤独研究の文脈でも、ペットは社会的つながりの重要な経路です。

日々の暮らしのなかで、ペットとの関係を「ただの飼育」として位置づけるのは、もったいないかもしれません。彼らは私たちの脳と身体に毎日働きかけている、もう一人の家族であり、共進化のパートナーであり、健康と関係の支え手です。ペットを飼っていない人も、動物との接触機会(友人のペット、保護犬・保護猫のボランティア、動物カフェ)を意識的に持つことで、似た効用を得られます。

DEEPER 学術的な観点で深めると

人動物関係学(Human-Animal Interaction, HAI)は1970年代に米精神科医アーロン・カッチャー、ジェームス・サーペルらによって体系化されてきました。米国国立衛生研究所(NIH)と米Waltham Petcare Science Instituteは2008年から共同で大規模なHAI研究プログラムを推進しています。神経生物学では、スウェーデン農業大学のキャースティン・ウーヴナス=モバーグがオキシトシン研究の第一人者として、人とペットの絆形成を研究してきました。日本では麻布大学の獣医学部と動物応用科学科が中核となり、動物行動学者の菊水健史らが「人とイヌの相互作用」を継続的に研究。脳科学者の永澤美保(麻布大学)は、人と犬の見つめ合いがオキシトシンを上昇させることを2015年の誌に報告しました。米イェール大学のデジー・コリンズ、米パデュー大学のアラン・ベックらも長年HAI研究を主導。WHO(世界保健機関)も2010年代以降、ペットの社会的健康効果を公衆衛生の文脈で議論しています。動物介在療法(AAT)は、医療・教育・福祉の現場で広範に応用されはじめています。

SIGNAL 01

飼い主と犬が見つめ合うとき、双方のオキシトシン濃度が上昇(Nagasawa, M. et al. 2015, Science, 348(6232): 333-336)。日本人による研究。

SIGNAL 02

スウェーデンの340万人規模の研究で、犬の飼い主の心血管疾患死亡リスクが約20-25%低い(Mubanga, M. et al. 2017, Scientific Reports, 7: 15821)。

SIGNAL 03

日本のペット飼育世帯は犬約710万頭、猫約880万頭(一般社団法人ペットフード協会2023年調査)。約3割の世帯がペットと暮らす。

KEY REFERENCE この回の典拠
  • Nagasawa, M. et al. (2015). "Oxytocin-gaze positive loop and the coevolution of human-dog bonds." Science, 348(6232): 333-336.DOI: 10.1126/science.1261022 / 永澤美保ら、人犬絆のオキシトシン研究。
  • Mubanga, M. et al. (2017). "Dog ownership and the risk of cardiovascular disease and death." Scientific Reports, 7: 15821.犬飼育と心血管疾患リスク。
  • Serpell, J. (2017). The Domestic Dog (2nd ed.). Cambridge University Press.人犬関係学の総合書。
  • Uvnäs Moberg, K. (2015). The Oxytocin Factor. Da Capo Press.オキシトシンと絆。
  • 菊水健史(2014)『人イヌに会う』東京大学出版会日本のイヌ行動学・関係学。
QUESTION FOR NEXT — 次号への問い

ペットと暮らす人の脳が変わるなら、子どもを育てる過程で、親自身もまた深く変わっているはずです。次回は、子育てが親の脳をどう変えるかを、相互発達の研究から辿ります。

NEXT EPISODE 第50話「子どもは、親をも育てている」 公開を待つ →
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