PART III 関係 ・ 恋愛 #02
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共感は、生まれつきではなく学習され続けている

― ミラーニューロン研究が解像した、他者を感じるしくみ

Empathy Is Not Innate, but Continuously Learned

誰かが転んだのを見て、自分の足が痛く感じる。映画で泣いている人を見て、自分の目に涙が浮かぶ。共感と呼ばれるこの不思議な反応は、生まれつきの能力のように思えますが、ここ30年の神経科学は別の姿を示しはじめています。共感は、脳のなかで日々学習されつづけているスキルだったのです。

西村 勇也(NPO法人ミラツク 代表理事) 2026年5月8日 推定読了 約8分 学術領域: 自然科学 / 共感の神経科学

誰かが転んだのを見て、自分の足が痛くなる感覚がふっとよぎる。映画で泣いている主人公を見て、なぜか自分の目に涙が浮かぶ。家族が辛い顔をしていると、こちらも胸が重くなる。「共感」と呼ばれるこの反応は、私たちが当たり前のように経験しているのに、考えてみると不思議です。なぜ他人の経験が、自分の身体の反応として立ち上がってくるのでしょうか。

この問いに対する大きな手がかりが、1990年代のイタリアの実験室から立ち上がりました。サルが餌を掴む動作をしているときと、別のサルや人間が同じ動作をしているのを見ているときに、同じ脳の細胞が発火する――この発見は、共感や模倣や言語学習の神経基盤を一気に書き換えました。「ミラーニューロン」と呼ばれるこの細胞群は、他者の動きを自分の身体のなかで「再現」する装置として機能していたのです。

人間の場合、ミラーニューロン系はもっと広く働いているとされます。誰かが痛そうにしているのを見るとき、自分の脳の痛みネットワークの一部が活性化する。誰かの表情を見るとき、自分の顔の筋肉も微妙に動く。共感は、頭で「相手の気持ちを推し量る」だけの認知的な作業ではなく、自分の身体と脳のなかで他者の経験を部分的に再生する、身体的な現象だったのです。

けれど、近年の研究はもう一歩進んでいます。共感は、生まれつきの固定的な能力ではなく、日々学習されつづけているスキルだと示されはじめているのです。新生児の段階でミラーシステムの萌芽は確認できるものの、その精度や範囲は、養育環境のなかで他者と顔を合わせ、表情を読み合い、身体的な接触を重ねるなかで、長い時間をかけて編まれていきます。共感は、生育環境が編む能力でもあるのです。

これは、大人になっても共感が変化しうることを意味します。慢性的にスマートフォンばかり見ている時間、対面のコミュニケーションが減る時間、感情の共有が乏しい関係が続くと、ミラーシステムへの「素材」が減っていきます。逆に、人と顔を合わせて話す時間、身体的に近くで過ごす時間、感情を共有するエピソードが多い時間は、共感のスキルを保ち、強めていきます。共感は使わないと衰え、使うほど豊かになる、筋肉のような能力なのかもしれません。

誰かを大切にするということは、毎日少しずつ、相手の経験を自分の身体のなかで受け取り直すことでもあります。共感は神秘の能力ではなく、関係のなかで日々編まれていく実践です。そして、関係を選ぶことは、共感の素材を選ぶことでもあるのです。

DEEPER 学術的な観点で深めると

ミラーニューロンの発見は、1992年から1996年にかけて、イタリア・パルマ大学のジャコモ・リッツォラッティらの研究グループが、マカクザルの腹側運動前野(F5領域)で報告したことから始まります。1996年に学術誌に発表された彼らの論文は、運動の実行と他者の運動の観察が、同じ細胞集団によって表象されることを示し、認知神経科学の枠組みを一新しました。哲学者ヴィットリオ・ガレーゼと哲学者アルヴィン・ゴールドマンは1998年、これを「シミュレーション理論」として共感・心の理論の基盤に位置づけ直しました。米カリフォルニア大学ロサンゼルス校のマルコ・イアコボーニは(2008年)でこの分野の総合的な解説を行い、ジョージ・ワシントン大学のジャン・デセティは情動的共感(affective empathy)と認知的共感(cognitive empathy)の脳基盤の違いを継続的に追っています。日本では認知神経科学者の嶋田総太郎(明治大学)がミラーシステムの実験研究を、心理学者の長谷川寿一(東京大学)が比較行動学の視点から共感の進化を研究しています。共感は、神経の構造として生まれつきの素地を持ちつつ、養育環境と関係のなかで編成されつづける、可塑的な能力です。

SIGNAL 01

マカクザルのF5領域で発見されたミラーニューロンは、サルの観察と実行で同じ細胞集団が活性化することを示した(Rizzolatti, G. et al. 1996, Brain, 119(2): 593-609)。

SIGNAL 02

機能的MRIで、他者の痛みを観察するとき自分が痛みを経験するのと同じ脳領域(前帯状皮質・島皮質)が活性化(Singer, T. et al. 2004, Science, 303(5661): 1157-1162)。

SIGNAL 03

対面コミュニケーション時間が長い人ほど共感性指標(IRI)の平均が高い傾向(米Sherman et al. 2013など複数の相関研究)。共感は使うほど磨かれる。

KEY REFERENCE この回の典拠
  • Rizzolatti, G. et al. (1996). "Premotor cortex and the recognition of motor actions." Cogn Brain Res, 3(2): 131-141.DOI: 10.1016/0926-6410(95)00038-0 / ミラーニューロン発見論文。
  • Gallese, V. & Goldman, A. (1998). "Mirror neurons and the simulation theory of mind-reading." Trends Cogn Sci, 2(12): 493-501.ミラーニューロンと心の理論。
  • Iacoboni, M. (2008). Mirroring People. Farrar, Straus and Giroux.ミラーシステムの総合的解説。
  • Singer, T. et al. (2004). "Empathy for Pain Involves the Affective but not Sensory Components of Pain." Science, 303(5661): 1157-1162.DOI: 10.1126/science.1093535 / 共感の脳基盤。
  • Decety, J. & Ickes, W. (eds.) (2009). The Social Neuroscience of Empathy. MIT Press.共感研究の総合書。
QUESTION FOR NEXT — 次号への問い

共感が日々学習されているのなら、子どもが世界を覚え、関係を学んでいくプロセスは、もっと深く解像する価値があります。すでに公開されている第54話「子どもは『小さな大人』ではなく、別の知性だった」と合わせて、関係のなかでの発達を考えていきます。

NEXT EPISODE 第44話「沈黙が、関係を深めることがある」 公開を待つ →
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