PART II 暮らしの基盤 ・ はたらく #06
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雑談のなかに、組織の学びが隠れていた

― インフォーマル学習研究が解像する、職場の知の流れ

Casual Conversations Hide the Learning of Organizations

休憩室での何気ない会話、廊下での立ち話、ランチでの雑談――こうした「働いていない時間」のなかに、組織の最も重要な学びが起きていた、という研究があります。

西村 勇也(NPO法人ミラツク 代表理事) 2026年5月8日 推定読了 約8分 学術領域: 社会科学 / インフォーマル学習・知識経営

休憩室での何気ない会話、コーヒーマシンの前での立ち話、ランチでの雑談、たばこ部屋での息抜き――こうした「働いていない時間」を、私たちはたいてい「ゆるみ」「無駄」「効率の敵」として扱ってきました。コロナ禍の在宅勤務では、こうした雑談の時間が減って業務効率は変わらないように見えましたが、なぜか組織の何かが弱っていく感覚がありました。雑談のなかに、組織の最も重要な学びが起きていたかもしれません。

インフォーマル学習(informal learning)の研究は、20世紀後半から進んできました。米ジョージタウン大学のヴィクトリア・マルシックらの研究によると、私たちが仕事で身につけるスキル・知識のうち、フォーマルな研修や教育で得るものは全体の20%程度にすぎず、残りの70-80%は日常の業務、雑談、観察、試行錯誤のなかから得られている――いわゆる「70-20-10モデル」(70%は経験、20%は他者から、10%は研修)が広く参照されてきました。

雑談の中で具体的に何が起きているのか。第一は、暗黙知の共有です。マニュアルには書けないコツ、過去のトラブルの記憶、顧客の癖、人間関係の機微――こうした言葉になりにくい知識は、雑談の中でこそ流れます。日本の経営学者・野中郁次郎が「SECIモデル」で論じた知識創造の最初の段階「共同化(Socialization)」は、まさに雑談的な共体験のなかで起きるとされます。

第二は、組織の「血流」としての機能です。組織のあちこちで起きていることが、雑談を通じて広く共有される。「あの部署が大変そうだ」「営業のあのメンバーが面白い案件を持ってきた」「経営陣の考えがどう変わってきた」――こうした非公式な情報の流れが、組織のレジリエンスと適応力を支えています。雑談が止まると、組織の各部署が孤島化し、全体の学習能力が低下していきます。

第三は、心理的安全性の素地です。第37話で取り上げたように、心理的安全性は組織のパフォーマンスの基盤ですが、それは形式的な会議の中だけで作られるものではなく、雑談の蓄積から育つものです。お互いを「人」として知っているからこそ、難しい会議でも率直な発言ができる。雑談の量と質は、組織の関係資本を編む見えない投資なのです。

在宅勤務やリモートワークが広がる中で、意図的に「雑談の機会」を設計する組織が増えています。バーチャルコーヒーブレイク、雑談チャネル、定例の雑談ミーティング、出社日の確保。これらは「効率を犠牲にした非生産的時間」ではなく、組織の知の流れを保つための投資です。家庭でも同じです。家族との何気ない会話の時間を意識的に確保することが、家族の関係性の基盤を編んでいるのです。

DEEPER 学術的な観点で深めると

インフォーマル学習の研究は、米コロンビア大学のヴィクトリア・マルシックとカレン・ワトキンスが1990年代以降に体系化してきました(Informal and Incidental Learning, 1990年)。職場における学習の70-80%が公式研修以外で起きるという発見は、企業の人材開発戦略に大きな影響を与えました。米ハーバード大学のロブ・クロス(2009年)は、組織内の社会的ネットワーク分析で、雑談的な弱い結びつきが情報流通とイノベーションに不可欠であることを実証。マサチューセッツ工科大学のアレックス・ペントランドの「ソーシャルフィジクス」研究は、対面の雑談量とチームのパフォーマンス・創造性に強い相関があることを示しました。日本では野中郁次郎(一橋大学名誉教授)の知識創造理論におけるSECIモデルの「共同化」段階が、暗黙知の身体的・経験的共有として理論化されています。米心理学者マーク・グラノヴェッターの「弱い紐帯の強さ」(1973年)も、雑談的な関係の重要性を示す古典的な社会学研究です。

SIGNAL 01

職場での学習の約70-80%は公式研修以外(経験・他者・雑談)から得られる(70-20-10モデル、Lombardo & Eichinger 1996)。

SIGNAL 02

MITペントランドの研究によれば、対面雑談量が多いチームほど生産性が高く、コールセンターの事例では約35%の差が報告された(Pentland, A. 2012, Harvard Business Review、特定企業のケーススタディ)。

SIGNAL 03

コロナ禍の在宅勤務で「弱い結びつき」(雑談相手)が約20-30%減少、長期的な組織レジリエンスの懸念(Yang, L. et al. 2022, Nature Human Behaviour)。

KEY REFERENCE この回の典拠
  • Marsick, V. J. & Watkins, K. E. (1990). Informal and Incidental Learning in the Workplace. Routledge.インフォーマル学習研究の出発点。
  • Cross, R. (2009). Driving Results Through Social Networks. Jossey-Bass.組織内ネットワーク分析。
  • Pentland, A. (2014). Social Physics. Penguin Press.対面雑談量と組織パフォーマンス。
  • Granovetter, M. S. (1973). "The Strength of Weak Ties." American Journal of Sociology, 78(6): 1360-1380.弱い紐帯論の古典。
  • 野中郁次郎・竹内弘高(1996)『知識創造企業』東洋経済新報社知識創造理論。
QUESTION FOR NEXT — 次号への問い

雑談が組織の学びを支えるなら、対立する概念――「働きすぎ」――は、組織のなにを犠牲にしているのでしょうか。次回は、長時間労働が文化ではなく構造の問題であることを、労働社会学の系譜から辿ります。

NEXT EPISODE 第39話「『働きすぎ』は、文化ではなく構造の問題」 公開を待つ →
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