気分が沈んでいる朝、なんとなく明るい色の服を選んでみる。すると一日のあいだに、少しだけ元気が出てくる感覚があります。逆に、ストレスが溜まって落ち着きたい日にビビッドな赤を着ると、なぜか余計にざわざわしてしまう。服の色を「見た目の問題」だと思ってきた私たちですが、実はその色は、自分自身の感情にも深く響いているのかもしれません。
ここ20年の色彩心理学(color psychology)は、色が認知と感情に与える影響を、実験的に解像しはじめています。米ロチェスター大学の心理学者アンドリュー・エリオットは2007年以降、色が認知パフォーマンスに与える影響を継続的に研究してきました。彼らの実験では、テストの直前に赤色を見た被験者は、緑や中性色を見た被験者よりも、知的タスクの成績が下がる傾向が確認されています。赤は警戒・回避と結びつく色で、認知のリソースを微妙に消費するのです。
一方で、青と緑は落ち着きと創造性を促す色だとされます。米ブリティッシュ・コロンビア大学のラヴィ・メータとルイ・チューが2009年に『Science』誌に発表した研究では、青色の背景は創造的タスクの成績を、赤色の背景は注意・記憶タスクの成績を、それぞれ上げることが示されました。色は単なる装飾ではなく、思考のチューニングを変える環境変数だったのです。
ファッションに置き換えると、色の選び方は気分のチューニングの選び方でもあります。落ち着きたい日には青や緑寄りの服、活力を上げたい日には暖色系、自信を持ちたい日には黒やネイビー――こうした選び方は、迷信や好みの問題ではなく、自分の感情と認知に対する具体的な介入として理解できます。日本の伝統色(藍・茜・若草・桜・墨)が、それぞれ違う気分や場面に対応してきたのも、長い経験のなかで磨かれた色彩心理学の実践だったとも言えます。
もう一つ重要なのは、自分が色を選ぶことの主体性です。社会から「ふさわしい色」を押しつけられて着る服は、自己決定感を損ないます。逆に、自分の気分や場面に合わせて意識的に色を選ぶ行為は、それ自体が小さなエンパワーメントになります。クローゼットを開けるとき、「今日はどの自分でいたいか」と問いかけることから、色は道具になりはじめます。
服の色は、他人に見せるためだけのものではなく、自分の一日の気分のチューニング装置でもあります。今朝の自分にいちばん合う色を選ぶ作法は、自分への小さな手入れの時間でもあるのです。
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色彩心理学の現代的研究は、20世紀後半に体系化されてきました。スイスの心理学者マックス・リュッシャーは1947年の「Lüscher color test」で色の選好と性格の関係を仮説化しましたが、実証性に問題がありました。実証研究を主導したのが米ロチェスター大学の心理学者アンドリュー・エリオットで、2007年以降、赤色が回避動機を活性化させ、認知パフォーマンスを下げることを複数のRCTで示しています(J Pers Soc Psychol、Psychol Bull)。米ブリティッシュ・コロンビア大学のラヴィ・メータとルイ・チューは2009年、誌の論文で青色が創造性、赤色が詳細処理を促すことを実証しました。色彩工学・色彩科学の系譜では、米国のデーン・スティーヴンス、日本の千々岩英彰(人間総合科学大学)らが、色の知覚と感情の関係を継続的に追っています。日本では伝統色研究の長崎盛輝(京都市立芸術大学元)が、和色名と感情・場面の対応を文化史的に整理してきました。色は、感情・認知・社会的行動に作用する、「見えない環境変数」として理解されはじめています。
テスト直前に赤色を見た被験者は、知的タスクのスコアが中等度の効果サイズで有意に低下(Elliot, A. J. et al. 2007, J Exp Psychol Gen, 136(1): 154-168、効果サイズ d≈0.4-0.6)。
青色背景は創造的タスクの成績を有意に向上、赤色背景は記憶・注意タスクを向上(Mehta, R. & Zhu, R. 2009, Science, 323(5918): 1226-1229)。
日本の伝統色名は465色が体系化されている(『日本の伝統色』日本色彩研究所 2011)。色彩文化の世界的な多様性。
KEY REFERENCE この回の典拠 ▾
- Elliot, A. J. & Maier, M. A. (2014). "Color Psychology." Annu Rev Psychol, 65: 95-120.色彩心理学の総説。
- Mehta, R. & Zhu, R. J. (2009). "Blue or Red? Exploring the Effect of Color on Cognitive Task Performances." Science, 323(5918): 1226-1229.DOI: 10.1126/science.1169144 / 色とパフォーマンス。
- Elliot, A. J. et al. (2007). "Color and Psychological Functioning." J Exp Psychol Gen, 136(1): 154-168.赤色と認知。
- 千々岩英彰(2003)『色彩学概説』東京大学出版会色彩心理学の日本語教科書。
- 長崎盛輝(2001)『日本の傳統色』青幻舎日本の伝統色文化史。
服の色が気分に響くなら、もう一つ別の角度――特定の服を「制服のように」着ることが、私たちに何をしているか――も気になってきます。次回は、ユニフォームと役割理論の系譜から、制服を着るという現象を辿ります。
