PART III 物語のかたち 第9章 当事者主体回復 第58話
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反専門家としての当事者

障害学が「障害は社会の問題」と語る方向を変え、ケアの倫理が「倫理の中核は関係性」と転換した。第9章の3つ目の話では、それらと並走するもうひとつの大きな運動――当事者が「専門家」を超える知の主体になる動き――を辿ります。

西村 勇也(NPO法人ミラツク 代表理事) 2026年5月8日 推定読了 約—分 PDF版で読む

障害学が「障害は社会の問題」と語る方向を変え、ケアの倫理が「倫理の中核は関係性」と転換した。第9章の3つ目の話では、それらと並走するもうひとつの大きな運動――当事者が「専門家」を超える知の主体になる動き――を辿ります。

20世紀の後半、専門家への過剰な依存と、専門知識への過信が、いくつもの分野で問題化していきます。象徴的な事例が、米国の進化生物学者スティーヴン・ジェイ・グールド(1941-2002)の1981年の著書『The Mismeasure of Man(人間の測りまちがい)』です。19世紀から20世紀にかけて、頭蓋計測や知能検査(IQ)が、「客観的な科学」という装いで、人種・階級・性別の差別を正当化してきた歴史を、グールドが緻密に検証しました。専門家の「科学的客観性」が、実は深いバイアスに浸されていた、という告発でした。

専門家の権威への対抗運動として、20世紀には自助グループ運動が大きく広がります。起点は、1935年、米国オハイオ州アクロンでビル・ウィルソンボブ・スミスが立ち上げたアルコホーリクス・アノニマス(AA)です。アルコール依存からの回復を、医師や治療プログラムだけに頼るのではなく、当事者同士の支え合いで進める方法論。AAの12ステップ・プログラムは、その後、ナルコティクス・アノニマス(NA、薬物依存)、ギャンブラーズ・アノニマス(GA、ギャンブル依存)、オーバーイーターズ・アノニマス(OA、過食症)、家族の会(CoDA、共依存)など、ありとあらゆる依存症・苦しみへと展開していきました。

医学の側でも、変化が起きました。2002年、英国医学雑誌『The Lancet』が「Patients as Experts(専門家としての患者)」をテーマに特集を組みます。慢性疾患の患者は、医師よりも自分の症状の経過・対処法・生活上の影響について豊富な経験知を持っている、という認識が学界で共有されはじめました。HIV/AIDS活動家コミュニティ、糖尿病・がん・難病の患者会、英国NHSの「Expert Patient Programme」(2002年開始)が、患者専門知を制度化する代表事例になります。

日本では、第56話で触れた北海道浦河べてるの家(1984年設立)の「当事者研究」が、この系譜の決定的な貢献です。精神科医療の患者が、自分の幻聴・妄想・対人困難・苦悩の理由を、自分自身が研究テーマにする。「苦労を取り戻す」「自分の助け方を自分で研究する」という、向谷地生良らの方法論です。

2008年、東京大学先端科学技術研究センターの綾屋紗月(自閉スペクトラム症当事者)と熊谷晋一郎(脳性マヒ当事者)が共著『発達障害当事者研究』(医学書院)を出版。学術機関のなかで、当事者研究を体系的な学問として確立する画期になりました。綾屋・熊谷の自閉スペクトラム研究、熊谷の脳性マヒ研究は、専門家による分析を超える深みと精度を持つ、と評価されています。

並行して、より広い「シチズン・サイエンス(市民科学)」の運動も拡大しています。Foldit(タンパク質折りたたみゲーム)、Galaxy Zoo(市民が銀河分類)、iNaturalist(市民が生物観察記録)、3.11以降の Safecast(市民放射線測定)など。専門家でない人々が、データ収集・分析・科学的発見の主体になる時代です。

専門知識の独占構造は、ゆっくりと、けれども確実に解体されていきます。

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「反専門家としての当事者」の系譜を、現代経営に応用する3つの実践があります。

第一に、「コンサルティング依存」の脱却。多くの企業が、戦略・組織変革・デジタル化を外部コンサルティング会社に依存しています。確かに専門知識は重要ですが、自社の最大の専門家は、現場社員と顧客自身です。Patagonia、Buffer、Basecampなどの企業は、外部コンサルへの依存を意識的に減らし、社内の当事者知を意思決定の中核に据える経営判断を取っています。Reed Hastings(Netflix)の「Decision Memo」、Jeff Bezos(Amazon)の「6-pager narrative」も、専門家依存を脱却し、社内当事者の判断を可視化する仕組みです。

第二に、「ピア・サポート」の組織内導入。多くの企業が、メンタルヘルス・キャリア悩み・対人ストレスを、社内産業医・人事部・外部EAPに「専門家対応」させています。これに加えて、AAの12ステップに学ぶ「ピア・サポート」――当事者同士の集まり――を社内で支援する仕組みが、近年広がっています。Salesforceの「Equality Groups」、Microsoftの「Employee Resource Groups」、サイボウズの「kintoneコミュニティ」など。当事者同士の集まりが、組織の見えないインフラを作っています。

第三に、「ユーザー専門家」を社内に持つ。ジョブ理論、デザインリサーチ、UXリサーチ――これらの方法論の中核は、ユーザーを単なる「顧客」ではなく「専門家」として扱うことです。IDEO、Stanford d.school、Indi Young "Practical Empathy"の方法論を経営判断に組み込む企業は、長期的なユーザー解像度を保てます。

組織の最大の専門家は、しばしば、組織の最も周辺にいる人です。

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2. 異分野からの発展的視点 ― テトロックが暴いた「専門家予測の限界」

「当事者の知が専門家の知を上回りうる」という主張は反知性主義として警戒されがちですが、20年にわたる地味な実証研究がこの主張に意外な裏づけを与えました。米ペンシルベニア大学の心理学者フィリップ・テトロック(Philip Tetlock)の『Expert Political Judgment』(Princeton UP, 2005)です。

テトロックは1984年から2003年までの20年間、政治・経済・国際関係の専門家284名に「ソ連は5年以内に崩壊するか」など合計28,361件の予測を行わせ、的中率をブライアスコアで定量化しました。結果、専門家の集合的予測精度は「3つの選択肢にダーツを投げるチンパンジー」とほぼ同じ水準で、しかも有名で発言力の強いハリネズミ型専門家(一つの大理論を信じるタイプ)ほど精度が低いことが示されたのです。後継プロジェクトGood Judgment Project(2011-2015、IARPA共同)では、訓練を受けた一般市民の最上位2%「スーパーフォーキャスター」が、機密情報にアクセスできるCIA内部分析官を平均30%上回る予測精度を出しました。

AAの12ステップが90年にわたって機能し、ACT UPの当事者治験委員会がHAART早期承認を勝ち取った背景には、同じ構造原理があります。深い専門性は深さを与えるが、複雑な現実の判断における正確性を保証しない ―― 専門知識の独占は、認識論的にも統計学的にも長期的には脆弱なのです。

QUESTION FOR NEXT — 次号への問い

次回は「当事者主体回復のかたち ― 第9章のまとめ」をお届けします。

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