PART II 媒介のかたち 第5章 中間支援 第30話
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中間支援の系譜 ― 産業組合からNPO中間支援へ

第II部の第5章「中間支援」を始めます。前章「市民専門家」が個人としての媒介者を扱ったとすれば、本章は組織としての媒介者の系譜です。何かと何かのあいだに立つ「支援を支援する組織」の歴史を、200年遡って辿っていきます。

西村 勇也(NPO法人ミラツク 代表理事) 2026年5月8日 推定読了 約—分 PDF版で読む

第II部の第5章「中間支援」を始めます。前章「市民専門家」が個人としての媒介者を扱ったとすれば、本章は組織としての媒介者の系譜です。何かと何かのあいだに立つ「支援を支援する組織」の歴史を、200年遡って辿っていきます。

産業革命の真っ只中、1844年12月21日、英国マンチェスター近郊のロッチデールという小さな町で、28人の労働者が小さな店を開きます。ロッチデール先駆者協同組合(Rochdale Society of Equitable Pioneers)。資金を出し合い、安価な食料品を共同で仕入れて販売する、世界初の本格的な消費協同組合でした。創設メンバーのチャールズ・ハワースが起草した「ロッチデール原則」――1人1票の議決権、政治的・宗教的中立、剰余金の利用高還元、教育への投資など――は、その後の世界中の協同組合運動の基本原則になっていきます。

ロッチデール以前にも、社会改革者ロバート・オウエン(連載第18話で登場)の試みがありました。スコットランドのニュー・ラナーク工場で1800年から実施された労働者協同経営、1825年米国インディアナで試みた共産的コミュニティ「ニュー・ハーモニー」。多くは失敗しましたが、これらの試みは「労働者と消費者と地域が、市場の論理だけに任せず、自分たちで助け合う組織」の可能性を示しました。

ロッチデール原則と労働者運動が日本に届くのは、明治・大正期です。1900年の「産業組合法」によって、農業・漁業・消費の各種協同組合が法制化されました。ですが、近代的な意味での協同組合運動を本格的に立ち上げたのは、神戸出身の社会改革者賀川豊彦(1888-1960)でした。1921年、神戸で消費組合を設立し、その後農業協同組合・医療協同組合・住宅協同組合・社会教育の各分野で運動を展開していきます。彼は「友愛の経済学」と呼ばれる思想を持ち、ノーベル平和賞・ノーベル文学賞双方の候補にもなりました。賀川の思想は単なる組合運動ではなく、「人と人のあいだに、市場でも国家でもない第三の関係を築く」という、中間支援の根本的なビジョンを持っていました。

戦後、協同組合は農協・生協というかたちで日本社会に根を下ろします。けれども、1990年代に入ると、協同組合とは別の新しい中間支援組織の系譜が立ち上がってきました。1995年の阪神・淡路大震災で、ボランティアと被災地、市民とNPO、企業と社会のあいだに「橋渡し」をする組織の必要性が広く認識されたのです。1996年、川北秀人氏らが立ち上げたIIHOE(International Institute for Human, Organization and the Earth)、同年の日本NPOセンター、その後の各地のNPOサポートセンター――これらが日本の現代中間支援組織の中核を作りました。

1998年に成立した特定非営利活動促進法(NPO法)は、市民活動を法的に整備する大きな転換点でした。NPO中間支援組織は、設立支援、人材育成、助成金の橋渡し、企業のCSRとNPOのマッチングなど、市民セクターを下支えする裏のインフラとして、地域ごとに広がっています。

中間支援は、200年かけて少しずつ姿を変えてきた、社会の橋渡し装置です。

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中間支援組織の経営的特徴を、企業経営の文脈で整理します。

第一に、「事業者と顧客」ではない関係。中間支援組織は、自分が直接事業を行うのではなく、他の事業者を支援する。これは事業会社の顧客サポートとは似て非なるもので、「支援の対象が、自社の競合であり、同時にパートナーでもある」という独特の関係性を持ちます。例えばIIHOEはNPOを支援しますが、自分自身がNPOでもあります。この自己言及的な構造が、中間支援組織のアイデンティティ問題でもあります。

第二に、エコシステムの編集者としての役割。中間支援組織は、自社の事業ではなくエコシステム全体の健全性を向上させることが使命です。これは現代の経営でいう「プラットフォーム経営」(次回ep34で詳しく扱う)と通底する発想です。Apple App Store、Microsoft Azure、Salesforceの開発者エコシステムも、自社の利益だけでなく、参加者全体の繁栄を意識的に設計しています。中間支援組織は非営利分野でこれを実装してきた先駆者です。

第三に、信頼の経営。中間支援は、信頼を蓄積することで初めて機能します。Robert Putnam "Bowling Alone" (2000) が論じた社会関係資本(social capital)が、組織の生命線です。短期業績で測れない信頼の蓄積を、5年・10年・20年スパンで続けられるかが、中間支援組織と他の組織の分岐点です。

ただし、信頼は失われやすい。利益相反、不透明な決定、形式化、官僚化。これらが中間支援組織を腐食させます。本来の意味での中間支援を維持するには、組織の小ささ、決定の透明性、外部の評価を受け続ける覚悟が必要です。

中間支援は、構造ではなく文化として持続します。

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2. 異分野からの発展的視点 ― コーエンが証明した「ハブが消えると社会は分裂する」

中間支援組織が「ないと困る」という直観を、ネットワーク物理学は冷たい数式で裏づけてしまいました。2000年、エルサレム・ヘブライ大学のロイヴェン・コーエン(Reuven Cohen)らは、インターネットや航空網のような「スケールフリー・ネットワーク」 ―― 少数のハブが多数のリンクを集め、ノード次数分布がべき乗則に従う構造 ―― の頑健性を発表しました(*Physical Review Letters* 85巻, 4626-4628頁)。

結果は二相的でした。ノードを無作為に取り除いていくときには、スケールフリー・ネットワークは異常に強い ―― 全ノードの99%を破壊しても巨大連結成分が残る。けれども、次数の高いハブから順に標的攻撃すると、わずか数%のハブを失っただけで全体が無数の小コミュニティに分裂し、平均最短経路長は爆発的に増大する。同じ構造が、ランダム障害に対する驚異的なロバストネスと、標的攻撃に対する破滅的な脆弱性を、同時に持つのです。

NPO中間支援組織、業界団体、地域コーディネーター、IIHOEのような中継組織は、社会ネットワーク上のまさにこのハブ位置を占めています。中間支援は「社会の連結度をひとり静かに支えている希少資源」であり、その消失は局所の被害ではなく社会全体の探索効率と情報統合の崩壊を意味します。賀川豊彦が1909年に新川スラムに足を踏み入れたとき、彼が始めようとしていたのは慈善ではなく、コーエンが式で示した「ハブの構造的責任」の最古層の実装でした。

QUESTION FOR NEXT — 次号への問い

次回は「賀川豊彦と日本の協同組合運動」をお届けします。

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