PART I 場のかたち 第3章 余白確保 第20話
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余白の経営学 ― DeMarcoのスラック

組織を効率の塊にしようとすると、しばしば組織が壊れます。逆説的ですが、これは経営研究で繰り返し確認されてきた事実です。なぜでしょう。

西村 勇也(NPO法人ミラツク 代表理事) 2026年5月8日 推定読了 約—分 PDF版で読む

組織を効率の塊にしようとすると、しばしば組織が壊れます。逆説的ですが、これは経営研究で繰り返し確認されてきた事実です。なぜでしょう。

ソフトウェア開発のコンサルタントだったトム・デマルコは、2001年の著書『スラック』でこの逆説を真正面から論じました。サブタイトルは「燃え尽き、無駄な仕事、効率の神話を超えて」。彼は数十社の現場を観察し、100%稼働率を目指したチームが必ず崩壊することを見出します。理由はシンプルです。100%稼働しているチームは、想定外の事態(バグ、退職、外部の変化、新しい機会)に対応する余地がない。問題が起きたときに、誰も助けに行けない。だから、小さなトラブルが連鎖して大きな崩壊になる。

デマルコの言う「スラック」は、単なる「ヒマな時間」ではありません。学習・修復・新規探索のための、意図的に確保された余裕です。彼が示した経験則のひとつは、「持続可能なチームは、稼働率が80%程度に制御されている」というもの。残りの20%が、新しいスキルの習得、コードのリファクタリング、他部門との情報交換、新規プロジェクトの試作に使われます。

経営学の側でも、同じ構造が早くから理論化されていました。1991年、スタンフォードのジェイムズ・マーチは『組織学習における探索と深化(Exploration and Exploitation in Organizational Learning)』という論文を発表します。組織は既存の能力を磨く「深化」と、新しい可能性を試す「探索」を同時に必要とする。けれど両者は資源を奪い合う。短期の業績だけを追えば深化に偏り、長期の創造の種が枯れる。マーチの問題提起は、その後の「両利きの経営」(オライリー&タッシュマン 2016)の核心になります。

さらに視野を広げると、生物学にも同じ構造が見出されます。1968年、日本の遺伝学者木村資生は『分子進化の中立説』を提唱しました。生物のゲノムには、即座には機能しないけれど、長期的には進化の素材となる「中立な変異」が大量に蓄積されている。これがあるからこそ、環境が変化したときに、新しい機能が生まれる。スイスの進化生物学者アンドレアス・ワグナーは2005年の『生命システムにおけるロバストネスと進化可能性』で、生命の冗長性が進化の原動力であることを数理的に示しました。

組織心理学者カール・ワイクは、1979年の『組織化の心理学』で、組織は変化に対して「センスメイキング」――状況を解釈して行動を調整するプロセス――を行う必要があり、これには時間と認知的余裕が必須だ、と論じました。ワイクの研究は、なぜ高信頼性組織(航空管制、原子力、消防)が一見「無駄な余白」を保っているのかを説明しました。

スラック、探索、中立変異、冗長性、センスメイキング。呼び方は違いますが、いずれも同じことを指しています。余白は、適応への投資である

100%効率の組織は、変化に対してもっとも脆い組織です。

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実装の3つの柱を整理します。

第一に、業務時間内の20%を意図的に確保する。Googleの「20%プロジェクト」(2004年正式制度化、後に縮小)、3Mの「15%ルール」(1948年〜、Post-itの起源)、Atlassianの「ShipIt Day」、Microsoftの「Hackweek」、サイボウズの「副業推奨」。形は違っても、業務時間の中に「現業から離れる時間」を制度として確保します。経営層が「成果を出さない時間」を予算化できるかが、長期的な創造性の分岐点です。

第二に、Bus Factorを意識する。「Bus Factorが1」とは、その人がバスに轢かれたら止まるプロジェクト、という意味です。1人しか知らない業務、1人しか書けないコード、1人しかできない判断。これらは効率的に見えますが、組織の冗長性を奪います。複数人が重複して担える設計を、意図的に維持する。トヨタの「アンドン」(誰でもラインを止められる)、Pixarの「Brain Trust」(複数の監督が他作品にコメント)も、同じ思想です。

第三に、マネジャーの余白を保護する。デマルコが特に警告したのは、マネジャーの100%稼働です。マネジャーが会議と承認に追われていると、組織の戦略的判断と人材育成が機能しません。Andy Grove "High Output Management"(1983)は、マネジャーの仕事の50%は「歩き回り、観察し、考える」であるべきだ、と説きました。

スラックは「余裕がある時の贅沢」ではなく、「持続的に成果を出すための前提」です。これは経営判断のひとつではなく、経営の前提になる時代に入っています。Daniel Kahneman "Thinking, Fast and Slow"(2011)の言うシステム2の判断には、認知的なスラックが必須だからです。

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2. 異分野からの発展的視点 ― ワーグナーが解いた「ゲノムの遊びが新機能を生む」

組織にスラック(余裕)が必要だ、という経営学の主張は、生命が同じ問題を遥かに深い場所で解いてきたことを、近年の進化生物学が明らかにしています。スイス・チューリヒ大学のアンドレアス・ワーグナー(Andreas Wagner)の仕事です。彼は2014年の著書『Arrival of the Fittest』(Current、邦訳『進化の謎を数学で解く』)で、進化論最大の謎 ―― 進化はどうやってランダム変異だけで使える新機能を発見できるのか ―― に答えを出しました。

鍵は「遺伝子型ネットワーク」の発見です。ワーグナーらは酵母やバクテリアの代謝系を計算機上で詳細にモデル化し、ある遺伝子配列を同じ機能を保ったままどれだけ変異させられるかを調べました。結果、機能を保つ配列の数は、膨大な可能配列のなかで互いに繋がった巨大な「網」を形成していたのです。生物はこの網の上を、表現型を変えずに自由に移動できる。そして網の上の異なる場所からは、異なる「次の隣接可能性」が見える。現状の機能に直接効かない遺伝的な遊びこそが、長期的な進化可能性(evolvability)の源泉だったのです。

DeMarcoのスラック、Google 20% Time、3M 15% Culture ―― これらが短期では非効率に見えても長期で創造性を生むのは、ゲノム上で生命が46億年使い続けてきた遊びの戦略を、組織のなかで再演しているからです。スラックは経営の選択肢ではなく、進化が選んだ生存戦略でした。

QUESTION FOR NEXT — 次号への問い

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