PART I 場のかたち 第2章 越境出会い(章まとめ) 第17話
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越境のかたち ― 第2章のまとめ

第I部の第2章「越境出会い」を、これで一区切りにします。通過儀礼、巡礼から留学、大学キャンパスの偶然、オンラインの越境、フェスと祭り。5つの話を貫く構造を取り出し、現代の世界で同じ装置が新しく稼働している現場を3つ訪ねます。

西村 勇也(NPO法人ミラツク 代表理事) 2026年5月8日 推定読了 約—分 PDF版で読む

第I部の第2章「越境出会い」を、これで一区切りにします。通過儀礼、巡礼から留学、大学キャンパスの偶然、オンラインの越境、フェスと祭り。5つの話を貫く構造を取り出し、現代の世界で同じ装置が新しく稼働している現場を3つ訪ねます。

5話を並べて見えてくるのは、越境の場には共通の3段階があることです。分離(普段の文脈から離れる)→ 移行(宙吊りの時間を過ごす)→ 統合(新しい関係を持って戻る)。1909年にファン・ヘネップが見出したこの三段階は、巡礼にも留学にもキャンパスでの偶然の対話にも、Discordコミュニティへの新規参加にも、そしてフェスへの参加にも、共通して見出されます。違うのは時間スケールと密度だけです。

ここで本連載の3つの底流のうち、ふたつめを取り上げます。「文脈と新結合」。シュンペーターが1911年に経済学的に定義した、すでに存在する要素同士の新しい組み合わせ。越境は、「文脈と新結合」が起きる典型的な装置です。普段とは違う場所、違う人、違う時間に身を置くと、自分のなかで眠っていた経験や知識が、新しい組み合わせを始める。

このことが現代の現場で確かめられている例を、3つ挙げます。

欧州を見てみます。Erasmus Programme(エラスムス計画)は、欧州共同体が1987年に開始した留学制度で、ソフィア・コラディ(Sofia Corradi、通称「Mamma Erasmus」)の20年にわたる提唱を経て制度化されました。学生が在籍大学に籍を置いたまま、半年から1年、別のヨーロッパの大学で学ぶ仕組みです。累計で約1,200万人が参加し、現在は年間30万人規模で運用されています。半年から1年という期間は、短くも長くもない、まさに通過儀礼的な「移行期間」。参加者の追跡調査では、卒業後の越境的キャリア形成、配偶者選び、価値観の更新に有意な影響が確認されています。

同じ欧州でも、ドイツの一地方都市カッセルでは、もう少し早い時期から別のかたちの越境が動いていました。1955年に始まったDocumenta(ドクメンタ)と各地の国際美術展です。Arnold Bodeが芸術監督として、世界中のアーティストを戦後ドイツの地方都市に「越境させる」装置を作りました。5年に一度の祭典の前後、何百人ものアーティストが地域に滞在し、地元の文脈と対話しながら作品を制作していきます。Venice Biennale、São Paulo Biennial、Sharjah Biennialへと連なる現代美術祭の系譜の起点でもあり、芸術というメディアを介した、双方向の越境です。

大西洋を渡って米国に目を移すと、もう少し前、1961年にケネディ大統領のもとで創設されたPeace Corps(米国平和部隊)があります。初代長官Sargent Shriverが運営の骨格を作りました。米国の若者を世界各国に2年間派遣し、教育・医療・農業・環境などの分野で現地のコミュニティと共に活動するボランティア制度です。累計24万人以上が140カ国以上に派遣され、帰国後の進路は外交、NGO、起業、研究、教育と多岐にわたります。世代の往還、文化の往還、学びと労働の往還――2年間のリミナリティが、派遣される側と受け入れる側の双方の文脈に、新しい結合をもたらします。

3つの装置に共通するのは、移動による越境を、出来事ではなくプロセスとして制度化したことです。

文脈は、移動と滞在の積み重ねから、新しいかたちを得ます。

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3事例から取り出せる、組織における越境設計の3原則を整理します。

第一に、長すぎず短すぎない「中間の時間」を確保する。1日や1週間では深い変化が起きない。一方、永続的な転属では「その文脈の常識」に染まり直してしまう。Erasmusの半年〜1年、Peace Corpsの2年、サバティカルの6か月から1年、海外駐在の2〜4年、社内副業の数か月。「期間限定の宙吊り」が文脈の新結合を最も活発にします。Mary Catherine Bateson "Composing a Life"(1989)が描いた人生の「再構成期」も、こうした中間時間のことを指しています。

第二に、戻る場所を確保しておく。越境が真の効果を持つのは、戻る場所が保証されているときです。一度離れた場所に戻れない越境は、人を不安にし、新しい文脈の獲得より「戻れない焦り」を生む。Erasmusが在籍大学に籍を残したまま留学させる設計、Peace Corps帰国者支援プログラム(RPCV)の進路ネットワーク、サバティカル後の元職復帰保証、海外駐在後のローテーション計画。これは制度設計の核心です。

第三に、双方向の越境を制度化する。優れた越境装置は、行く側と受け入れる側の両方を変えます。Erasmusは留学する学生だけでなく受け入れ大学・地域社会の国際化を進めてきました。Documentaはアーティストだけでなくカッセル市民の創造性と国際的視座を引き出してきました。Peace Corpsは派遣される若者だけでなく受け入れ地域の人材育成と国際的接続性を変えてきました。社内ローテーションも、行く部署だけでなく送り出す部署の構造を変える機会として設計するのが、本来の効用です。

経営的には、越境は短期業績ではなく長期のレジリエンス、組織記憶の更新、リーダー候補の育成、外部との接続性に効きます。「移動と滞在のサイクルを設計する」ことは、組織の生命線でもあります。

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2. 異分野からの発展的視点 ― マグワイアが捉えた「ロンドン運転手の海馬」

越境という体験は、目に見えない心の出来事のように思えます。けれども英ロンドン大学のエレノア・マグワイア(Eleanor Maguire)らの有名な実験は、越境が文字通り脳の物質を作り変えることを示しました(*PNAS* 97巻, 4398-4403頁, 2000)。

ロンドンのタクシー運転手は、市内2万5千の通りと、その上の数千のランドマークをすべて頭に入れる「The Knowledge」と呼ばれる試験に2〜4年かけて挑みます。マグワイアらは、彼ら16人の脳をMRIで撮影し、対照群と比較しました。結果は劇的でした ―― 運転手の海馬後部の灰白質が対照群より有意に大きく、しかも、運転手としての勤務年数が長いほどその容積はさらに増えていた。空間を歩き直し続けることで、脳の地図機構そのものが物理的に育っていたのです。後の縦断研究では、見習いから合格までの4年で合格者の海馬後部だけが増加することも確認されました。

ErasmusやPeace Corpsの参加者が語る「世界の見え方が変わった」という主観的経験は、ロンドンのタクシー運転手の海馬で起きていることと、同じ系譜の出来事です。境界を渡るたびに、私たちの脳はゆっくりと、しかし確実に自分自身を編み直しています。

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