社会を少しでもよくしようとする小さな試み――ソーシャルイノベーション――について、これまでと少し違う角度から眺めてみたいと思います。事例を一つひとつ追いかけるのではなく、その奥にある「型」を取り出して読んでみる、というやり方です。型と聞くと固い印象があるかもしれませんが、案外、世界を見やすくしてくれる便利な道具です。本連載はその試みを、100回かけて続けていきます。
人がパターンを「型」として残す営みには、長い歴史があります。古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、目の前の事物のなかに「形相(エイドス)」というかたちが宿っていると考えました。事物はそれぞれ違って見えるけれど、その奥には共通する「かたち」がある、という発想です。社会学者のマックス・ヴェーバーは「理念型」を打ち出し、複雑な社会現象をいったん理想的なかたちに整え直して捉えなおす方法論を提示しました。建築家のクリストファー・アレグザンダーが、街と建物のなかに繰り返し現れる253のパターンを取り出した『パタン・ランゲージ』(1977)も、設計の知恵を共有可能なかたちに変えた仕事です。
科学哲学者トマス・クーンが「パラダイム」と呼んだもの、経済学者シュンペーターの「新結合」、人類学者レヴィ=ストロースが神話の奥に見た構造、心理学者ユングが「アーキタイプ」と呼んだ、こころの底に繰り返し現れるイメージ ―― 分野は違えど、すべて型の探求でした。型は単なる仕分けではなく、ものごとをどう見るかという「見方の枠組み」を差し出してくれます。新しい型を手にしたとき、見えなかった現象が急に見えてくる、ということが起こります。
本連載の出発点について少し触れておきます。2015年から2020年にかけて、雑誌『ソトコト』で「未来をつくるソーシャルイノベーション」という連載を60回続けました。日本各地のNPOや社会起業家、地域の取り組みを毎号取り上げ、現場の方々の言葉に耳を傾けた、約5年間の旅でした。連載を終え、60回ぶんを改めて通読してみると、領域も規模も違うはずの事例の奥に、繰り返し立ち上がる5つの動きが見えてきました。「場が生まれる」「媒介する人が立ち上がる」「物語と文脈が結び直される」「見えないインフラと規格が更新される」「特権が大衆へと開かれていく」 ―― この5つです。本連載はこの5つを軸に、偉人や思想、歴史や経営学の知恵を交差させて旅をしていきます。事例を増やすためではなく、変わらない構造を取り出すために。
型は、世界をすこし遅く、しかし深く読むための装置です。教養としてのソーシャルイノベーションは、その「遅さ」から始まります。
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型をビジネスに持ち込むと、何が起きるか。3つの実務的な活用視点を整理します。
第一に、暗黙知を形式知に変換する装置としての型。優れた経営者・現場リーダーが直感で運用しているノウハウは、しばしば本人にも言語化できません。それを「型」として抽出すると、組織内で共有可能になります。トヨタ生産方式の「カイゼン」「ジャストインタイム」「アンドン」、Pixarの「ブレイントラスト」、Amazonの「Working Backwards」 ―― いずれも個人技を組織の型に変換した事例です。アレグザンダーの『パタン・ランゲージ』が建築の現場知識を共有可能にしたのと同じ操作を、自社のなかで試みる価値があります。
第二に、判断の速度を上げる思考のチャンクとしての型。経験豊富な経営者が複雑な状況を瞬時に読み解けるのは、状況をゼロから分析しているからではなく、過去の事例から抽出した「型のライブラリー」を持っているからです。M&A判断、組織変革、危機対応、新規事業評価 ―― いずれも30個程度の判断パターンを持っているか否かで、意思決定の質と速度が桁違いに変わります。
第三に、対話の共通言語としての型。経営層と現場、本社と支社、研究と事業、世代間で話が通じない場面は、ほとんどが「世界を読む型」のズレに起因します。共通の型を持てば、「これは第3パターンだから、こう対応する」という形で議論が短縮されます。本連載が提示する5つの「かたち」は、社内ワークショップ、戦略合宿、後継者教育の標準語彙としても使えます。
型は、経営の速度と深さを同時に引き上げるための、長期的な投資です。
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2. 異分野からの発展的視点 ― カーネマンが解いた「速い思考と遅い思考の分業」
型を持って世界を読むという行為に、認知科学はひとつの明確な裏づけを与えています。米プリンストン大学の心理学者で2002年ノーベル経済学賞受賞者ダニエル・カーネマン(Daniel Kahneman)が、半世紀の研究を集大成した著書『Thinking, Fast and Slow』(FSG, 2011、邦訳『ファスト&スロー』早川書房 2012)の中核命題です。
カーネマンが提示したのは、人間の思考がSystem 1(速い・直感的・自動的) と System 2(遅い・熟考的・意識的) という、まったく異質な2つのモードで動くというモデルでした。System 1は1秒未満で結論を出し、System 2は数秒から数分かけて推論する。日常の判断の95%以上はSystem 1が担っており、System 2は疲れやすく、頻繁には起動しない。重要なのは、System 1の精度はその人が蓄えた「型のライブラリー」の質に依存する点です。チェスの巨匠が盤面を瞬時に読むのも、外科医が手術中に異常を即座に察知するのも、System 1が長年蓄積された型を呼び出しているからです。
本連載が100話かけて提示する5メタ型・15サブ型・100の事例集は、読者の System 1 を意識的に拡張する試みです。社会変容を読む「型のライブラリー」を脳に蓄えることは、複雑な経営判断・社会判断のスピードと深さを同時に引き上げる、最も合理的な認知投資なのです。
次回は「「つくる」と「生まれる」― 創発の系譜」をお届けします。
