喧嘩のない関係が良い関係だ――そう信じてきた人は少なくありません。穏やかで対立のない夫婦、衝突のない家族、波風の立たない友情こそが理想だと、私たちはたいてい思っています。けれど、半世紀以上にわたる関係科学の研究は、別の姿を示しています。喧嘩そのものは関係の良し悪しを決めるものではない。決定的なのは、喧嘩のあとに何が起きるかです。
関係科学の第一人者、米ワシントン大学のジョン・ガットマンは、夫婦の会話を実験室で録画・分析する研究を40年以上続けてきました。彼の研究室では、新婚夫婦の15分の会話を分析するだけで、その後の離婚を90%以上の精度で予測できることが知られています。決定的な指標は、喧嘩の量ではなく、喧嘩のなかの「質」――特に「修復のサイン(repair attempts)」を出せるかどうかでした。
修復のサインとは、緊張が高まったときに「冗談を言って空気を変える」「相手の手に触れる」「ちょっと話を変える」「謝る」「相手の言い分を認める」――こうした小さな行為のことです。激しい議論をしている最中でも、こうした小さな修復が頻繁に起きるカップルは、長期的に良好な関係を維持します。逆に、修復のサインが出せず、批判・防衛・軽蔑・無視(ガットマンが「四騎士」と呼ぶ破壊的パターン)が続くカップルは、離婚に向かう確率が高いのです。
喧嘩のあとに関係が深まるメカニズムは、いくつかの観点から説明できます。第一は、対立を経て初めて互いの本当の感情と価値観が見えること。第二は、葛藤を乗り越える経験が、関係の「揺らぎへの強さ(resilience)」を育てること。第三は、修復のプロセス自体が、相手への信頼を深めること――「揉めても、戻ってこられる」という確信が、関係の基盤を強くします。
これは、家族・友人・職場の関係にも応用できます。喧嘩や対立を避けつづけると、関係は表面的なまま深まらないことが多い。一方で、対立を放置するのも関係を蝕みます。重要なのは、対立が起きたときに「修復のサイン」を出せること、そして対立のあとに「対話」を再開できることです。「ごめん、言いすぎた」「あなたの言い分も聞かせて」「もう一度話そう」――こうした小さな修復が、関係の長期的な厚みを編みます。
完璧な関係は、衝突のない関係ではなく、衝突を乗り越えられる関係です。今日のパートナーや家族との小さな揉めごとは、関係を脅かす危機ではなく、関係を深める機会かもしれません。修復の言葉を、いつも一つ手元に持っておくこと――それが、長く深い関係の見えない技法なのです。
DEEPER 学術的な観点で深めると ▾
夫婦の葛藤研究は、米ワシントン大学のジョン・ガットマン(1942-)が40年以上にわたって主導してきました。シアトルの「ラブラトリー(愛の研究室)」では、夫婦の会話を心拍・血圧・表情のマイクロ表情まで含めて記録・分析し、関係の予測モデルを構築しました。彼の主要な発見は「喧嘩の中の修復のサイン(repair attempts)」と「批判・防衛・軽蔑・無視という4つの破壊的パターン(Four Horsemen)」です。米ロチェスター大学のハリー・レイス、米ブリガム・ヤング大学のジュリー・ホルト=ランスタッドなど、関係と健康の研究者群が、葛藤の質と長期健康指標の関係を継続的に示しています。心理学的には、米テキサス大学のジェイムス・グロスの感情調節研究、米コロンビア大学のキャロル・ドゥエックの「成長マインドセット」が、葛藤への向き合い方の心理学的基盤を提供。日本では家族社会学の山田昌弘(中央大学)、夫婦関係研究の青木聡(東京家政学院大学)らが日本における夫婦の葛藤と修復を研究しています。葛藤は関係の敵ではなく、修復の質と組み合わせて関係の「進化」を駆動する要素として位置づけ直されつつあります。
ガットマン研究室の自身の報告では、新婚夫婦の15分の会話分析で、その後の離婚を高い精度(同研究室発表で90%超)で予測(Gottman, J. M. 1999, The Marriage Clinic、再現性研究は継続中)。
長期維持カップルは喧嘩中に「修復のサイン」を平均5-7回出す(Gottman, J. M. & Silver, N. 1999, The Seven Principles for Making Marriage Work)。
建設的な葛藤を経験するカップルは、葛藤回避型より5年後の関係満足度が高い(Driver, J. L. & Gottman, J. M. 2004, Family Process, 43(3): 301-314)。
KEY REFERENCE この回の典拠 ▾
- Gottman, J. M. & Silver, N. (1999). The Seven Principles for Making Marriage Work. Crown.関係科学の代表書。
- Gottman, J. M. (2014). What Predicts Divorce? Psychology Press.葛藤の科学的分析。
- Driver, J. L. & Gottman, J. M. (2004). "Daily Marital Interactions and Positive Affect During Marital Conflict Among Newlywed Couples." Family Process, 43(3): 301-314.葛藤と日常相互作用。
- Reis, H. T. & Sprecher, S. (eds.) (2009). Encyclopedia of Human Relationships. Sage.関係科学の総合事典。
- 青木聡(2018)『夫婦・家族の心理学』培風館日本の家族関係心理学。
葛藤と修復が関係を編むなら、長く続く夫婦には独特の「節目」があるとも言われます。次回は、「7年ごとに変わる」と言われる夫婦の謎を、関係発達学の系譜から辿ります。
