創造的な仕事をしようとして、誰もいない静かな書斎にこもる。けれど、なぜか集中できず、アイデアも降りてこない。逆に、お気に入りのカフェの片隅、人がほどよく行き交う場所で、不思議と良いアイデアが浮かぶ――こうした経験を、多くの作家やデザイナー、研究者が語ってきました。創造性には静寂が必要だ、と私たちは長く信じてきましたが、本当にそうなのでしょうか。
米イリノイ大学のラヴィ・メータらが2012年に発表した研究は、この問いに具体的な答えを与えました。被験者を「静寂(50dB)」「適度な雑音(70dB)」「強い雑音(85dB)」の3つの環境に分けて、創造性の課題(リモートアソシエイション課題)に取り組ませると、適度な雑音の環境にいた群が最も高い得点を残しました。完全な静寂は、注意を内側に引き寄せすぎて、創造的な連想を狭めてしまうのです。一方、強すぎる雑音は注意を奪う。70dB前後――カフェの環境音と同じくらい――が、創造性のスイートスポットだったのです。
なぜそうなるのか。一つの説明は、適度な雑音が「処理流暢性の障害」を生み、抽象的・非常識的な思考を促すという仮説です。脳が音を処理しながら課題に取り組む状況では、固定的な思考パターンから少し外れやすくなる。逆に、完全な静寂では脳のリソースが余り、習慣的な思考パターンに陥りやすい。創造性は「邪魔されないこと」ではなく、「適度に邪魔されること」から生まれていたのです。
もう一つ重要な要素は、人との関わりです。米ノースウェスタン大学のブライアン・ウジーらは、科学者の協力ネットワークを大規模に分析し、適度に多様性のあるチームから生まれる論文の引用数が、同質的なチームの数倍になることを示しました(Nature, 2013年)。創造性は、孤独な天才の頭の中で生まれるのではなく、異なる視点を持つ人々との偶然の交差から生まれることが多いのです。雑談、立ち話、会議室の外での会話――これらが、しばしば最大の発想源です。
日々の暮らしのなかで、これは具体的に応用できます。完全に静かな場所で長時間こもるより、カフェで仕事をする時間、コワーキングスペースで他の人の活動を遠目に感じる時間、誰かと雑談する時間を意識的に作る。ノイズキャンセリングのイヤホンを完全装備するより、環境音を流すアプリ(Coffitivityなど)を使う人が増えているのも、この知見と整合します。創造のための環境は、「遮断」ではなく「ほどよい接続」だったのです。
次に新しいアイデアが必要なとき、書斎にこもる代わりに、近所のカフェに足を運んでみる。同僚の隣で雑談する15分を、本気で「創造的な投資」として確保する。創造性は、孤独な才能の問題ではなく、自分の周りにどんな雑音と関係を配置するかの設計の問題だったのです。
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創造性と環境の関係の現代的研究は、米イリノイ大学のラヴィ・メータら(Mehta, R., Zhu, R. J., & Cheema, A. 2012, J Consumer Research)の「適度な雑音と創造性」研究が転換点になりました。米ノースウェスタン大学のブライアン・ウジーは社会的ネットワーク分析の手法で、科学的創造性が同質ではなく多様性のあるチームから生まれることを実証してきました。創造性研究の古典的基盤としては、ミハイ・チクセントミハイの『フロー』(1990年、第32話と関連)、米心理学者ハワード・グルーバーの「進化システムアプローチ」、ロバート・スターンバーグの「投資理論」があります。職場研究の観点では、米ハーバード大学のテレサ・アマビール(『創造性の社会心理学』)が、内発的動機と職場環境の関係を長年追跡してきました。日本では京都大学の鈴木宏昭、東京大学の村山航らが創造的思考の認知科学的研究を、また経営学者の野中郁次郎(一橋大学名誉教授)が知識創造の理論を発展させてきました。創造性は、内在的な才能ではなく、適切な環境・人間関係・刺激の配置から生まれる、設計可能な現象として理解されつつあります。
中程度の雑音(70dB)環境では、静寂(50dB)より創造的課題の得点が約30%高い(Mehta, R., Zhu, R. J., & Cheema, A. 2012, J Consumer Research, 39(4): 784-799)。
多様性のある研究チームから生まれた論文は、同質チームの数倍の引用数を獲得(Uzzi, B. et al. 2013, Science, 342(6157): 468-472)。
在宅勤務での創造性指標は、対面勤務より約20%低下するというMicrosoft 2022年大規模調査(Microsoft Annual Work Trend Index 2022)。雑音と関係の不足が要因。
KEY REFERENCE この回の典拠 ▾
- Mehta, R., Zhu, R. J., & Cheema, A. (2012). "Is Noise Always Bad?" J Consumer Research, 39(4): 784-799.DOI: 10.1086/665048 / 雑音と創造性。
- Uzzi, B., Mukherjee, S., Stringer, M., & Jones, B. (2013). "Atypical Combinations and Scientific Impact." Science, 342(6157): 468-472.DOI: 10.1126/science.1240474 / 多様性と創造性。
- Csikszentmihalyi, M. (1996). Creativity. HarperCollins.創造性研究の総合書。
- Amabile, T. M. (1996). Creativity in Context. Westview.創造性の社会心理学。
- 野中郁次郎・竹内弘高(1996)『知識創造企業』東洋経済新報社知識創造理論。
創造性が環境と関係から生まれるなら、私たちが「失敗」と呼んできた経験も、実は学びの深さを編んでいるのかもしれません。次回は、失敗の記憶が学習をどう深めるかを、エラー学習の研究から辿ります。
