第V部「開きのかたち」第15章は、世界が「見える化」されるとき、そこに何が開かれ、何が閉ざされるのかを問います。本話で取り上げるのは、20世紀後半のアメリカを代表する批評家スーザン・ソンタグ(Susan Sontag、1933-2004)です。彼女は、写真というメディアが私たちの感受性と倫理をどう変えたのかを、生涯をかけて問い続けました。
ソンタグが1977年に刊行した『写真論(On Photography)』(Farrar, Straus & Giroux 1977、邦訳『写真論』近藤耕人訳、晶文社 1979/ちくま学芸文庫 2018)は、写真論の古典となりました。彼女のテーゼは鋭利です。写真を撮ることは、世界を切り取り、所有し、消費することである。カメラを手にした観光客は、目の前の景色を「見る」のではなく「撮る」ことに専念し、撮影した瞬間にその経験を消費し終えてしまう。写真は、世界を「いま・ここ」から切り離し、流通可能なイメージへと変換する装置だ、というのです。
ソンタグの問いはさらに先へ進みます。他者の苦痛が写真に撮られるとき、それを「見る」私たちには、どのような倫理的な重みがあるのか。1977年の段階で彼女は、ベトナム戦争の報道写真、ホロコーストの記録写真、飢餓に苦しむ子どもたちの報道写真を見続けることが、人々の感受性をすり減らし、麻痺させ、最終的に共感を不可能にすると警告しました。
26年後、彼女は最後の著作『他者の苦痛へのまなざし(Regarding the Pain of Others)』(Farrar, Straus & Giroux 2003、邦訳『他者の苦痛へのまなざし』北條文緒訳、みすず書房 2003)で、自らの議論を一部修正します。9.11、アフガニスタン、イラクという新しい戦争の時代に、彼女は「苦痛の写真を見ることが必ずしも麻痺をもたらすとは限らない」と書きました。むしろ、見続けることでしか倫理は鍛えられない。問題は、見ることそのものではなく、見たあとに何をするかだ、と。
ソンタグの問いは、彼女に先立つ2人の批評家と響きあいます。一人は英国のジョン・バージャー(John Berger、1926-2017)です。BBCテレビ番組から書籍化された『Ways of Seeing』(BBC 1972/Penguin 1972、邦訳『イメージ ― 視覚とメディア』伊藤俊治訳、PARCO出版 1986/ちくま学芸文庫 2013)で、バージャーは「見る行為は政治的である」と示しました。もう一人はフランスのロラン・バルト(Roland Barthes、1915-1980)です。遺著『明るい部屋(La chambre claire)』(Cahiers du cinéma/Gallimard/Seuil 1980、邦訳『明るい部屋』花輪光訳、みすず書房 1985)で、バルトは写真が見る者を刺す「プンクトゥム」と、知的に解読される「ストゥディウム」を区別しました。
写真は、社会変容のアクター・ネットワークそのものでした。スマートフォンが世界に37億台普及し、SNSで毎日40億枚の画像が拡散される現代、ソンタグの問いはむしろ加速しています。戦争報道、災害報道、SNSでの晒し、ディープフェイク、生成AI画像――見ることの倫理は、いま再定義を迫られています。
可視化は、開きの恵みと、消費の暴力を、同じ門のなかに同居させています。
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ソンタグの可視化メディア論は、現代の経営・コミュニケーション・ブランド戦略に三つの実践的示唆を与えます。
第一に、画像時代の「ナラティブ・ガバナンス」。Instagram、TikTok、X(旧Twitter)、YouTubeで企業活動が秒単位で可視化される現代、経営者はもはや「何を語るか」だけでなく「何が見られるか/どう見られるか」を統治しなければなりません。Patagoniaが工場の労働環境を自ら公開する戦略、ユニクロが製造現場を映像化する取り組み、無印良品が商品開発過程を見せる手法は、いずれも「先回りして見せる」ことで、不利な可視化のリスクを管理する戦略です。ソンタグ的に言えば、これは「見られる側の主体化」です。
第二に、SNS拡散時代の「他者の苦痛」管理。災害・事故・ハラスメント・労務問題が起きたとき、企業の対応は秒単位でSNSに可視化されます。被災者・被害者の苦痛を、報道写真として、SNS画像として、ライブ配信として、第三者が消費する構造のなかで、企業は加害者にも被害者にもなりえます。ソンタグが警告した「感受性の麻痺」と「倫理的応答の必要」は、危機管理コミュニケーションの中核論点です。
第三に、生成AI画像時代の「真正性」担保。ディープフェイクで経営者の発言映像が偽造され、Midjourneyで企業ロゴ入りの架空キャンペーン画像が拡散され、Soraで存在しない事故映像が制作される現代、「この画像は本物か」という問いそのものが経営課題になりました。C2PA(Content Credentials、2021年Adobe・Microsoft・BBC等設立)への参加、画像来歴の電子署名、報道機関との真正性連携は、新しいブランド資産です。
可視化は、力にも罠にもなります。何を見せ、何を見せないか――それは経営判断そのものです。
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2. 異分野からの発展的視点 ― シンガーが計測した「他者の痛みが自分の脳を疼かせる」
ソンタグが「他者の苦痛を見ることは倫理的な行為だ」と書いた1977年から27年後、神経科学はその命題を脳の生理学的事実として実証しました。2004年、スイス・チューリヒ大学のタニア・シンガー(Tania Singer)らは、結婚したばかりの16組のカップルを対象にした実験を発表しました(*Science* 303巻, 1157-1162頁)。妻にfMRIを撮影しながら、彼女自身の手に電気刺激を与える条件と、隣室にいる夫に刺激が与えられたことを示すサインだけを見せる条件を比較したのです。
結果、自分が痛みを受けたときと、夫が痛みを受けたと知らされただけのとき、妻の脳の前帯状皮質(ACC)と前島皮質が、ほぼ同じパターンで活性化していました。痛覚そのものではなく痛みの「情動的成分」が、他者観察と自己経験で同じ神経回路を共有していたのです。後にこの「痛みの共感の神経回路」は、苦痛画像を見せられた3.5秒以内にACCが活性化すること、報道記者やSNSモデレーターに慢性的なコルチゾール上昇と ACC 萎縮が起きうることまで確認されました。
ソンタグが警告した「感受性の麻痺」は、神経変性として実測可能な現象です。キャパの戦場写真、ニック・ウトの「ナパーム弾の少女」、SNSで拡散される暴力動画、生成AI画像 ―― 「見る」という行為が倫理的な重さを持つのは、それが脳のなかで物理的に痛みの回路を発火させるからでした。
次回は「報道写真の系譜 ― キャパからの100年」をお届けします。
