第I部「場のかたち」を終えて、第II部「媒介のかたち」に入ります。場は人を集める装置でしたが、媒介は人と人、人と知、人と機会のあいだに立つ存在の話です。連載の第二の柱が始まります。
「媒介者」は、世界中の文化のなかで、最も古くからある人物像のひとつです。古代ギリシャの神々のなかで、ヘルメスは特別な役割を持っていました。神々と人間のあいだの使者であり、商人と泥棒の守護神であり、夢と魂を冥界に導く神でもあります。境界(horos)に立つ存在として、彼は石碑「ヘルマイ」として街道や境目に置かれました。境界石としてのヘルマイは、後にギリシャ各地で人型の石柱として立ち並び、彼が「越境を司る神」であることを物語ります。
似た役割を持つ存在は、世界中の神話に登場します。北欧神話のロキ、北米先住民のコヨーテ、ヨルバ族(西アフリカ)のエシュ(エシュ・エレグーア)、ポリネシアのマウイ。彼らは「トリックスター」と総称されます。アメリカの作家ルイス・ハイドは1998年、『Trickster Makes This World』で、これらの神話的存在に共通する役割を整理しました。境界を曖昧にし、規則を破り、笑いと混乱を持ち込む。けれども結果として、新しい知や新しい関係を生み出す。トリックスターは、人類が「変化を可能にする存在」を物語のかたちで持ち続けてきた証拠です。
人類学者メアリー・ダグラスは1966年の『汚穢と禁忌』で、社会の分類体系の中で「どの範疇にも入らない」存在こそが、最も強い変容の力を持つと論じました。聖と俗、内と外、生者と死者、男と女。これらの境界に立つ「リミナル・パーソン」――前話まで扱った通過儀礼の言葉でいえばリミナリティの状態にある人――が、社会の動きそのものを担う。媒介者とは、まさにこのリミナル・パーソンの社会的機能化です。
時代を下って近代以降、宗教的・神話的な媒介者は、別の姿をとって現れます。美術館のキュレーターは18世紀末のフランス革命前後、王侯の私的コレクションが公衆に開かれていく過程で生まれた職能です。スイスのキュレーター、ハンス・ウルリッヒ・オブリストは『キュレーション小史(A Brief History of Curating)』(2008)で、20世紀のキュレーターを「作品とその受容のあいだに立つ通訳」として位置づけました。アーティストと観客のあいだに立ち、文脈を翻訳し、出会いを設計する。これは古代ヘルメスの仕事の現代版です。
20世紀末から21世紀になると、「コミュニティ・マネジャー」「コーディネーター」「ファシリテーター」「ナレッジ・スチュワード」「インフラ・エンジニア」といった、媒介を本質的な仕事とする新しい職能が次々と現れます。これらは別々の文脈で生まれたように見えますが、すべて「異なるものを繋ぐ専門職」として、ヘルメスの末裔です。
社会が複雑になるほど、人々のあいだに立つ媒介者の数と種類は増えていきます。
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「媒介者の経営的価値」は、組織の中で見落とされがちな主題です。
第一に、媒介者は「成果を直接生産しない」がゆえに評価しにくい。優れたコミュニティ・マネジャー、優れた社内コーディネーター、優れた人事担当者の仕事は、その人がいなくなって初めて見える、という性格を持ちます。だからこそ、評価制度を「直接の成果(売上、コード行数)」だけでなく、「間接の効果(チーム間の連携、知識の循環、関係性の深化)」を含むかたちで設計する必要があります。Microsoftが2014年から「成果」と「他者への貢献」を同等に評価するParity-based Reviewを導入したのは、媒介の価値を測る試みです。
第二に、媒介職を「キャリア」として確立する。多くの組織で、媒介的な仕事は「事務」「アシスタント」「縁の下の力持ち」として、給与体系の下層に置かれてきました。これは媒介の本質を見誤った人事設計です。Googleの「Chief of Staff」、Salesforceの「Customer Success Manager」、IBMの「Knowledge Manager」のように、媒介を高位職として明示する組織のほうが、長期的に高い競争力を持っています。
第三に、トップ自身が媒介的役割を意識する。経営者の真の仕事は、「決定する」よりも「異質な要素を繋ぐ」ことのほうが大きい。Steve JobsがApple復帰後の最初の仕事は、製品ラインの整理(不要部門の切断)と、デザインとエンジニアリングの再統合(Jonathan IveとTim Cookの結節)でした。彼は媒介者として動いていたのです。
媒介は、組織の「裏のインフラ」です。これを意識的に設計する経営は、確実に長持ちします。
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2. 異分野からの発展的視点 ― ノヴァクが解いた「媒介者がいると協力が進化する」
人と人のあいだに立つ媒介者が、社会の安定にとってどれほど決定的か。1998年、米ハーバード大学の進化数学者マーティン・ノヴァク(Martin Nowak)とカール・シグムントは、進化生物学の数学から明確な答えを提示しました(*Nature* 393巻, 573-577頁)。
彼らの問いは単純でした ―― 直接の見返りを期待できない相手にも、人間はなぜ親切にできるのか。コンピュータ・シミュレーションのなかに複数のエージェントを置き、互いに「助ける/助けない」を選ばせる。重要な仮定は、エージェントの「評判(image score)」が第三者を経由して伝わることでした。結果、評判が媒介者を経由して伝わる集団でだけ、協力者が安定して進化的に勝ち残ったのです。媒介者がいない集団では裏切り戦略が短期的に優位になり、協力は崩壊する。ノヴァクは後にこの発見を「5つの協力進化メカニズム」(血縁選択・直接互恵・間接互恵・ネットワーク互恵・群選択)として体系化しました。
ヘルメスの伝令、産婆、巡礼の宿、ピアサポート、コミュニティ・マネジャー、ナレッジ・スチュワード ―― 連載で辿ってきた媒介者の系譜は、ノヴァクの数式が示す「間接互恵性のインフラ」を社会のなかで実装してきた人々でした。社会が崩れずに保たれているのは、ヘルメスの末裔たちがいまも私たちのあいだで言葉を運び続けているからです。
次回は「産婆の系譜 ― 古代から現代のドゥーラ概念へ」をお届けします。
