ミラツク
MIRA TUKU
EPISODE 022
変化のかたち
2026年5月8日
PART I 場のかたち 第3章 余白確保 第22話
22./ 100

デフォルト・モード・ネットワーク ― 脳の余白

「ぼんやりしている」という日本語は、時間の浪費を指す言葉として使われがちです。けれども21世紀に入ってからの脳科学は、「ぼんやり」している時間が脳にとって何を意味するかを、まったく違うかたちで明らかにしました。

第22話 ―
2026年5月8日
西村 勇也
NPO法人ミラツク 代表理事
22.

デフォルト・モード・ネットワーク ― 脳の余白

「ぼんやりしている」という日本語は、時間の浪費を指す言葉として使われがちです。けれども21世紀に入ってからの脳科学は、「ぼんやり」している時間が脳にとって何を意味するかを、まったく違うかたちで明らかにしました。

きっかけは2001年の小さな発見です。アメリカの神経学者マーカス・レイクルらは、被験者にfMRI(機能的磁気共鳴画像法)の中で簡単な認知課題を解いてもらう実験をしていました。すると、課題から課題のあいだの「何もしていない」時間に、脳のある特定領域が一斉に活性化していることに気づきます。前頭前野の内側部、後帯状皮質、楔前部、海馬など、ふだん「何かに集中する」時には逆に活動が下がる領域が、課題の合間に強く協調して動く。レイクルらはこれを『デフォルト・モード・ネットワーク(Default Mode Network、DMN)』と命名し、PNAS誌に発表しました。

衝撃的だったのは、DMNが「ぼんやりの脳」であるだけでなく、むしろ脳が普段の状態として行っているデフォルトの活動だ、ということでした。集中しているときよりも、ぼんやりしているときのほうが、脳全体のエネルギー消費は20%程度しか変わらない。むしろ、ぼんやり時間の脳は、過去の出来事の再生、未来のシミュレーション、自己の物語の再構成、他者の心の推測など、極めて統合的な作業を行っていたのです。

その後の研究はさらに踏み込んでいきます。2008年、ハーバード大学のランディ・バックナーは、DMNが自己参照的思考と社会的認知の中核ネットワークであることを示しました。2012年にジェシカ・アンドリュース・ハナらは、DMNが「自伝的記憶」「他者の心の理解」「未来の計画」「道徳的判断」といった、人間特有の高次認知の母胎であることを論じます。

そして2018年、ロジャー・ビーティらがPNAS誌に発表した重要論文では、創造性の高い人ほど、DMN(無意識的・連想的)と実行制御ネットワーク(ECN:意識的・選択的)が同時に活性化することを示しました。「ぼんやり」と「集中」は二項対立ではなく、両方が同時に走る瞬間に創造性が立ち上がる。これは哲学者のミハイ・チクセントミハイが1990年に『フロー』で記述した「最適経験」の脳科学的裏付けでもあります。

この発見の社会的含意は深いものです。短時間でも休まずタスクをこなし続けると、DMNが慢性的に抑制され、自己統合・記憶整理・創造性の能力が落ちる。マインドフルネス研究で有名なブラウン大学のジャドソン・ブリューワーは、PNAS 2011年の論文で、瞑想熟達者は意図的にDMNを制御できることを示しました。瞑想は精神的な健康法であるだけでなく、脳のデフォルト機能を整える神経学的な作法でもあります。

「何もしていない時間」は、脳にとっては最も活発な時間です。

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DMN研究の経営的含意は、まだ多くの組織で十分に活かされていません。

第一に、「ぼんやり」を許容する物理的・時間的設計。DeepMindのリサーチ・ラボには、敢えて散歩用の長い廊下、屋外の小道、瞑想室が設置されています。Pixarの中央アトリウム、Googleキャンパスの庭、リクルートの「思考の散歩道」も、同じ思想です。組織が「ぼんやり時間の物理空間」を確保することで、DMNが活性化する文化が生まれます。

第二に、「Single-Task with Breaks」の励行。Cal Newport "Deep Work"(2016)が示すように、複数タスクの並行(マルチタスク)は脳のDMNを慢性的に抑制します。むしろ、90分集中+20分休憩のサイクル(ウルトラディアン・リズム)のほうが、創造的な仕事の量・質ともに高い。Pomodoro Technique(25分作業+5分休憩)も、同じ原理に基づいています。

第三に、瞑想・呼吸法の組織的導入。Aetna健康保険、Salesforce、Goldman Sachs、SAP、Googleなどが、業務時間内のマインドフルネス・プログラムを制度化しています。Aetnaは導入後、社員のストレスレベル28%低下、年間生産性向上が一人あたり3,000ドル相当と報告。瞑想は宗教的活動ではなく、脳のメンテナンスとして、企業が真剣に投資する時代に入っています。

ただし、DMNを過剰に活性化すると、反芻思考(rumination)――同じ後悔を繰り返し再生する状態――に陥るリスクもあります。健康なDMN活用には、メタ認知(自分の思考を観察する能力)の訓練がセットで必要です。これがマインドフルネスの本来の働きでもあります。

「脳の余白」は、贅沢ではなく、認知の前提です。

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2. 異分野からの発展的視点 ― ベッグスとプレンツが捉えた「脳のなだれ」

何もしていない時間に、脳のなかでは何が起きているのか。これを電気生理学の言葉で精密に捉えたのが、米インディアナ大学のジョン・ベッグス(John Beggs)と独ポツダムのディートマー・プレンツ(Dietmar Plenz)の2003年の発見です(*Journal of Neuroscience* 23巻, 11167-11177頁)。

二人はラットの大脳皮質の薄切片を多電極アレイ上で長時間記録し、神経細胞の集合的な発火パターンに不思議な統計構造があることに気づきました。脳は静かに見える瞬間でも、絶えず「なだれ(neuronal avalanche)」を起こしている。一つのニューロンが発火すると、周囲のニューロンが連鎖的に発火し、波紋のようにネットワークを伝播する。なだれの規模分布は、自己組織化臨界状態に特有のべき乗則に従っており、指数の値(おおよそ-1.5)は地震、雪崩、森林火災、株式市場の暴落と同じ普遍指数でした。後の研究で、この臨界状態が情報処理能力を最大化することも示されました。

「何もしない時間」「ぼんやりする時間」「散歩の時間」が、なぜ創造性に効くのか。それは脳が、その時間に地震や砂山と同じ自己組織化臨界状態へ自分自身を引き戻し、世界モデルを再臨界化させているからでした。余白の科学は、いま物理学の言語で語り直されています。