PART I 場のかたち 第2章 越境出会い 第13話
13./ 100

留学の系譜 ― 巡礼から現代の越境へ

人類は、遠くへ歩いてきました。狩猟採集の昔から、人々は食料や水を求めて移動してきましたが、ある時期から「学ぶために」「自分を変えるために」遠くへ行くという、別の種類の移動が現れます。今回はこの「越境して学ぶ」系譜を辿ってみます。

西村 勇也(NPO法人ミラツク 代表理事) 2026年5月8日 推定読了 約—分 PDF版で読む

人類は、遠くへ歩いてきました。狩猟採集の昔から、人々は食料や水を求めて移動してきましたが、ある時期から「学ぶために」「自分を変えるために」遠くへ行くという、別の種類の移動が現れます。今回はこの「越境して学ぶ」系譜を辿ってみます。

世界最古の組織的な「学びの旅」のひとつは、宗教的巡礼です。9世紀のスペイン北西部、聖ヤコブの遺骨が発見されたサンティアゴ・デ・コンポステラには、ヨーロッパ各地から徒歩で1,000キロ以上の道を歩く人々が集まり始めました。やがて「フランスの道」と呼ばれるルートが確立し、12世紀には年間50万人を超える巡礼者が往来したと伝えられています。日本では平安時代以降、四国八十八カ所遍路が同じ性格を持っていました。9世紀初頭の弘法大師空海の修行地を辿る1,200キロ以上の道のりを、白衣に身を包んで巡る。観光や教育目的の旅ではなく、自分の内面と社会的位置の両方を一時的に「外」に出す巡礼でした。

時代が下って17世紀、イギリス貴族の青年たちのあいだで「グランドツアー」と呼ばれる慣習が始まります。フランス、イタリア、時にはギリシャまで2〜4年かけて旅をして、古典文化を学び、社交を磨いて帰る。ジョン・ロックも『教育に関する考察』(1693)で、グランドツアーは紳士教育の最終段階として推奨しました。同じ頃、ドイツ語圏では職人ギルドが「ヴァンダーヤーレ(Wanderjahre)」を制度化していました。職人の修行を終えた青年は、3年から5年、町から町へ歩きながら他の親方のもとで技を磨く。今もドイツとオーストリアの一部で、白いシャツに黒いベストの伝統的な衣装で歩く職人を見かけることがあります。

19世紀には、近代的な「留学」のかたちが現れます。プロイセン教育制度を確立したヴィルヘルム・フンボルトは、ベルリン大学(1810年創設)を「学問の自治」と「研究と教育の統合」の場として設計し、ドイツの大学に世界中から学生が集まる流れをつくりました。福沢諭吉は1860年、若き旗本として咸臨丸で太平洋を渡り、その後の3度の渡欧米経験が『学問のすゝめ』(1872-76)の根を作っています。明治期の日本では、夏目漱石や森鷗外、新渡戸稲造といった世代がロンドン・ベルリン・ジョンズホプキンスへと留学し、帰国後の知的生産を変えました。

20世紀後半、フランスの社会学者ピエール・ブルデューは『ディスタンクシオン』(1979)で、こうした旅と学びの経験が「文化資本(capital culturel)」として階級再生産に機能していると分析しました。留学経験は、職務能力以上に、社会的地位の継承装置でもあったのです。

現代の留学・サバティカル・国際交流プログラムは、この長い系譜の上に立っています。

FOR MANAGEMENT 経営学的に読み解きたいあなたへ

組織における「越境学習」は、近年の人材戦略のキーワードのひとつになっています。法政大学の石山恒貴教授らが体系化したこの概念は、社員が普段の組織から離れて、別の文脈・業界・国・コミュニティで学ぶ経験を、組織の創造性と適応力の源泉と位置づけます。

実装の代表例は3つ。第一に、社外越境プログラム。リクルートの「Ring」、サイボウズの「副業推奨」、SAPの「Innovation Sabbatical」など、社員が一定期間外の組織で活動する制度。表面上は「業務から離れる損失」ですが、本人と所属組織の両方に広い視野と新しい関係を持ち帰ります。

第二に、留学型MBA・エグゼクティブ研修。INSEAD、Stanford、IMD、慶應義塾大学のEMP――これらの最大の効用は知識習得ではなく、異質な同期生の網(network)です。Bourdieu的に言えば、そこで結ばれる関係こそが文化資本になり、組織を超えた経営判断の質を底上げします。

第三に、社内ローテーションの大胆な設計。日本企業のジョブローテーションは伝統的に「内向き」(同じ会社内)でしたが、近年はグループ会社越境、部門完全越境、3年〜5年単位の大移動を制度化する動きが増えています。トヨタの「機能別組織から商品別カンパニー制への大移動」(2016)が、この設計の象徴的な例です。

経営的には、越境は短期業績にはマイナスに見え、中期に「離職率の上昇」を伴うこともあります。しかし長期では、組織のレジリエンスと創造性、そして経営層の視野の広さに、決定的な差が出ます。「学びは、外で起きる」――これは1909年のファン・ヘネップから連続している経営の真理です。

FOR ACADEMIA 学術的に読み解きたいあなたへ

2. 異分野からの発展的視点 ― ビアリストクが示した「バイリンガルの脳が認知症を4年半遅らせる」

留学や巡礼が「人を変える」と言うとき、その変化は文化的な比喩ではなく、脳のなかに測定可能な痕跡を残しています。トロント・ヨーク大学のエレン・ビアリストク(Ellen Bialystok)らは、トロントの記憶障害クリニックを訪れた約400人の患者データを分析しました(Bialystok, Craik & Freedman, *Neuropsychologia* 45巻, 459-464頁, 2007)。

患者は単一言語話者と二言語話者にほぼ均等に分かれていました。同じ程度のアルツハイマー型認知症の症状が現れたとき、二言語話者は単一言語話者より平均4.1年遅く症状が顕在化していたのです。教育水準・職業・移民歴を統制してもこの差は残りました。複数言語を切り替え続けた経験が、脳の「認知予備力(cognitive reserve)」として蓄積され、同じ脳病理を持っていても症状の発現を遅らせていたのです。

弘法大師の四国遍路、サンティアゴ巡礼、フンボルトのベルリン大学構想、福沢諭吉の三度の渡欧米、Erasmus、Peace Corps ―― 千年以上にわたって人類が編み上げてきた「越境して学ぶ」装置は、単なる教育制度ではありませんでした。それは、晩年に脳の機能を支え続けるための長期にわたる神経への投資でもあるのです。留学が一生のあいだ効くのは、その経験が脳の予備力として文字通り蓄えられているからでした。

QUESTION FOR NEXT — 次号への問い

次回は「大学キャンパスの偶然 ― 出会いの装置」をお届けします。

NEXT EPISODE 第14話「大学キャンパスの偶然 ― 出会いの装置」 第14話を読む →
メルマガで次話を受け取る PDF版を読む 全100話の地図へ
連載更新・実践事例・関連トピックをお届けします
ようこそ。確認メールをお送りしました。
これから一緒に「変化のかたち」を読み解いていきましょう。